《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(14)「悲しいなんて生易しいもんじゃない」 ニッケイ新聞WEB版より


 PV日本語学校で教師をする荻沼由季さん(29、茨城県)は、現役のJICA青年ボランティアだ。
 日本でも日本語教師を生業とし、来日する留学生に語学学校で教えていた。「ベトナムで教師ボランティアを一週間する機会があった。その時、実は自分は日本語を良く分かっていないのでは、日本人として何が教えられるのかと考えさせられ、もう一度外国で教えたいと思い、JICAに応募しました」と動機を語った。
 「ここにきて、日本とは教え方が違うので、最初はとまどったが、すごく手ごたえがあった」と充実した様子。
 2011年7月から2年間、同ボランティアとしてPVに赴任した中山美早紀さん(30、京都府)。帰国後に1年間、日本の小学校教諭として働いていたが、再びPVに戻った。
 「田辺先生が体調を崩され、先生が足りなくなっているというので、戻ってきました。せっかく盛り上がってきたのに。そのままにはしておけないと思いました。こんな田舎にも日本文化を好きになってくれる生徒がたくさんいる。そんな生徒をもっと育てたい。ブラジルは私に合ってます」とのこと。
 和太鼓は6歳からやっていて、「まさかブラジルで役に立つとは思っていなかった」と笑う。Yosakoiソーランも「元々踊るのが好きで、学生時代に少しかじっていた。今は生徒たちに引っ張られるようにやってます」という。
 和太鼓とYosakoiソーラングループの名前「美光嵐」の由来を聞くと、「田辺先生が付けてくれました。新しい嵐を巻き起こしてほしいという意味だと思います」とのこと。きっと国境地帯に光をもたらす嵐に違いない。
 山田康夫団長は「想像以上に苦しい初期の生活であったことが、今回の訪問で痛切に感じられました。日系人が少ないこの地で、元気に日本文化継承に活躍されている皆さんの存在を、心から有難く思っています」とロンドニア日伯文化協会の役員に記念品を渡した。
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 娘に連れられ、会場の片隅にいた現地の黒田喜与美さん(77、福岡県)になにげなく声をかけた。すると、「私は東京都足立区大谷田町で育った。15歳以上の働き手が3人以上必要だからって、15歳の時に連れて来られたの。何にも知らない高校生でしょ。ここへ着いて、いきなり電気もない開拓生活。『悲しい』とかいう生易しいもんじゃなく、とにかくすごいショックだったのよ」と振りかえった。
 その一言で、華やかなイベントのお祭り気分は吹き飛んだ。「しっかりと聞かなければ」と襟を正し、ペンを握りなおした。
 黒田さんの父は衆議院の運院所で公務員をしていたという。「お父さんのお金遣いが荒くて、お母さんがアグエンタしなかった(耐えきれなかった)。そんなお父さんがブラジルに行くと言い出した。来て2年目、17歳の時に重人と結婚しました。彼には3人の連れ子がいて、むりやり。夫の弟の家族は12、3人もいて、家政婦のように私が全部トマコンタ(世話)しなければならなかった。それまで、私は何にも知らなかったのよ。どんなにして鶏の捕まえるのか、どう首を切るのかも知らないでよ」と語り始めた。(つづく、深沢正雪記者)