「様々な人との出会いがあった」 伊藤修・伯生さん父子が得度 サンパウロ新聞WEB版より

イメージ 1得度式の様子。右から采川師、伊藤修真さん、生真さん

伊豆大島・富士見観音への思い込め

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得度式に協力参加した伯人僧侶(両端)たちと伊藤修真さん、采川師、生真さん(中央3人右から)

【神奈川県横浜市発・松本浩治記者】神奈川県横浜市で路上焼肉店を生業とする伊藤修さん(67、神奈川)と次男の伯生(ひろき)さん(29、2世)が4月18日、同市内の自宅で曹洞宗南アメリカ国際布教総監の采川道昭師の導きにより得度(とくど)した。伊藤さんは、2014年から東京都伊豆大島にある富士見観音堂の堂守として、月に1回の割合で同島に足を運び、観音堂の維持活動を継続。「(得度するにあたって)奇しくも、様々な人たちとの良い出会いがあった」と思いを振り返り、観音堂が今後、日本に住む日系ブラジル人など困窮者の憩いの場となることを目指していく考えだ。
 大学を中退して横浜市役所に勤めた後、鎌倉市で漆(うるし)職人の仕事をしていた伊藤さんは、同市にある禅宗の寺院・建長(けんちょう)寺で座禅などをしたこともあったという。その後、1980年初頭にパラー州ベレン市に住む山本陽三氏の呼び寄せで渡伯。山本氏が経営する土産物店やレストランなどで働き、ATS(アマゾン・トラベル・サービス社)に勤務した経験もある。
 90年前後に、伯国生まれで日本語が分からない子供5人とともに日本に引き揚げた伊藤さんは、横浜市神奈川区のJR大口駅付近でレストランを経営したが、2011年に店を失い、4年前から同市の黄金町(こがねちょう)駅前の路上で焼肉を販売するなどして生計を立てている。
 サンパウロ市在住の記録映像作家・岡村淳さん(59、東京)のドキュメンタリー大作『アマゾンの読経』(316分)を見たことがきっかけで富士見観音堂のことを知り、14年から観音堂の堂守として横浜市から月1回の割合で伊豆大島に通う伊藤さん。訪日して観音堂での供養などを行った采川師と知り合ったことで、今回の得度式を行うことになった。
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 この日の得度式には采川師をはじめ、ブラジルから訪日し、横浜市鶴見区にある総持寺(曹洞宗の総本山の一つ)で修行を行っている非日系人のフェルナンデス浄賢(じょうけん)氏(27)らブラジル人僧侶も協力参加した。
 18日午後3時頃から始まった得度式では、「お釈迦さま」や先祖への三拝(さんぱい)を繰り返したり、頭の毛を剃る儀式などが行われ、通常は「20分ほどで終わる」(采川師)儀式が約1時間半にも及んだ。
 この日の得度式により、伊藤さんは「修真(しゅうしん)」、次男の伯生さんは「生真(しょうしん)」という僧名をそれぞれ譲り受けた。
 采川師は法話で「得度、おめでとうございます」と、揃って得度した伊藤父子のことを祝福。さらに、「(伊豆大島の富士見)観音堂を守ってくれる人が出て来ることは優れたご縁で、夢にも思っていませんでした。宇宙全体に感謝するしかありません。すべては宇宙の御因縁(ごいんねん)で生まれさせてもらっている」と述べ、「すべてのものには境目がなく、人様の上に立つのではなく、僕(しもべ)として得度すること。そのことをよく自覚して、すべての人と仲良くしてほしい」と戒(いまし)めた。
 得度した生真(伯生)さんは、「気持ちは皆さんと一緒。世界が一つの気持ちでつながれば」と、思いを込めた。
 伊藤さんは、「嬉しいです。これからも観音堂(での活動)に精進していきます」と今後の意気込みを表した。その上で、「今回、得度した大きな動機は、フェルナンデス(浄賢)さんらがブラジルから来て日本で修行し、一生懸命に異国の地で活動している彼らの姿に触れたこと。(堂守になって)はじめの1年、2年は荷が重かったが、奇しくも様々な人たちが出てきてくれて良い出会いがあった。そのことで保身が無くなり、気が楽になった」と率直な気持ちを語る。
 また、今後の観音堂での活動について伊藤さんは、その維持とともに、「日本での出稼ぎで僕自身と家族も救済された」とし、「日系ブラジル人や出稼ぎ就労者など困窮者たちが集まる憩いの場にもなれば」との思いも持っている。
2018年5月8日付