―移住に賭けた我らが世界― 第2章 飛躍期④ サンパウロ新聞WEB版より


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移民を『苦学』すると大きく報じられた第1次団(1960年10月10日付読売新聞教育面)

~もう一つの学生運動~ 日本学生海外移住連盟 外史
海外実習調査の幕開け ㊦ 第1次南米学生実習調査団員

岩井元長(東京水産大)、加藤伸弘(関学)、新谷正(関学)、小宮山宏明(早稲田大)、伴内季雄(日大)、狭間晋(東京農大)、大束員昭(神奈川大)
 その頃の羽嶋君と芝田君の決意たるや我々も圧倒されるものだった。例えば、彼等は岩井君と大束君に、次のような決意を打ち明けたものである。
 「我々二人は来学年には学業はおろか命をもかけて、この学生海外実習調査団実現に取り組む。来学年中に実現する保証は全くないことは覚悟の上だが、この運動は必ずや日本の将末に有意義な成果をもたらす確信がある。各部門の代表者がその国の最低賃金、すなわち移住者の最低保証レベルで実習・調査することは学生でなければ出来ないことだ。学移連以外には誰にも出来ないことだ。我々こそが日本の大学生を代表して、政府や財界に日本の将来をいかに真剣に考えている学生グループがあるかをアピールしなければならないのだ。この運動には君達、水産と工学部の二人の参加は欠かせない。一年でも二年でも留年するくらいの覚悟で俺達と一緒に運動してくれないか」と問い掛けて来たのである。
 彼等二人の名コンビぶりはそれ以来一日たりとも休むことなくありとあらゆる方法で、政界・財界への趣旨説明の活動を続けた。その甲斐あって、我々の運動はかなり早いスピードで、政財界から一定の評価を受け、八月の初旬ころ総理府及び外務省の理解・支援をいただけることになり、急ぎ十二名の団員選考が行われた。そして九月初旬には船賃を節約する為にウジミナス製鉄所建設資材を運搬した貨物船などに安い経費で便乗させてもらう交渉も成立した。
 協力いただいた船会社は、日の出汽船・二艘(八名)、大阪商船一艘(二名)、日本郵船一艘(二名)。したがって、団員は四班に分かれて出港した。
■第一班農業部門=伴内、狭間=十月十八日に大阪商船チャーターの「錦光丸」で神戸港より
■第二班商業部門=故羽嶋団長、加藤、及び水産部門=岩井副団長、簑輪和彦(東京水産)が十月末に日の出汽船「熊の丸」にて晴海埠頭から
■第三班農業部門=故芝田副団長、故坂上光昭(大阪府大)(出港記録不明)
■第四班商業部門=新谷、犬塚一臣(中央大)、及び工業部門一小見山、大束が十二月一日に日の出汽船「春栄丸」で大阪港から
 もしもあの時点で杉野先生のような理解者に巡り合えていなければ、羽嶋君が第一次団の報告書で、下記のような自信に満ちた団長報告も出来なかったであろう。
 第一次団報告書・団長報告よりの抜粋。
 『計画当初はこの実習調査形式とその根本精神に対し、滔々と異論を述べる者もいたが、真実なるものへの探究心は我々の胸から消すことは出来得なかった。当初幾多の困難が我々の計画の前に横たわり、ややもすると挫けそうになったことも幾度あつたかも知れなかった。しかし、我々の熱意溢れる計画に対して外務省でも出来るだけの協力をしてくださる事を約束され、又、折から訪日中の伯国日系人の中の理想と実践力の人野村農場支配人牛草茂氏の賛同をいただき、工業、水産部門を除く八名の引受人となって下さり大きく一歩前進し、前途に希望を与えて下さった。我々自身で、計画から実行まで全ての事を成し遂げた喜びは、団員全体の空気としていやがうえにも盛り上がり、我々の後に続く者の為、又、今後の平和的海外発展の礎となる自負と、使命感を持って一致団結を誓い、全国の賛同者、同志に多くの期待と心からなる祝福を受けて、(最終船の第四班は)一九六〇年十二月の小雨降る大阪港を未だ見ぬ異国への思いを走らせ、万感胸に迫る思いで日の出汽船春栄丸で出発したのである。』
 その後、各々がブラジルでの実習生活に入ってからも羽嶋君と芝田君の名コンビぶりは遺憾なく発揮された。
 第一次団の構想、すなわち、学生が各々の専門分野で、一年間移住者としての実習体験を通して、その国の実情を調べ、結果を日本政府および全国の学生たちへ報告するという案が、日本では当時の全学連の反政府運動と対比されてか、政財界から一定の評価を受けたことは既に触れたが、実はブラジルでの評判は実習引き受け先によって千差万別だった。
 更に、学移連にとっては初めての海外実習調査団の派遣だったので、団員間の相互認識にも差があり、団員たちの間には受け入れ先から不当と思われるような扱いを受けた者もあり困惑した。そういう想定もしなかった状況下でも第一次団からは脱落する者も病気に悩んだ者も出なかった。それは派遣団出発前に当時の大平官房長官が総理からの伝言として伝えてくださった「日本国の民間大使として国名に恥ないような十分な活躍を期待する」
 とのお言葉を、ブラジルの広大な地域に散らばった我々全員が常に心がけることが出来るように派遣期問中を通してサポートをしてくださったお陰である。
 この実習制度を実現に漕ぎつけた羽嶋、芝田の両君や、二人を終始支援してくださった杉野先生を偲び、後に残された者たちとして、全員の感謝の意をこめて、この史実をまとめた。(つづく)
 (この原稿は、学移連OB会設立準備会が2010年に出版した「我が青春の学移連」の第1次団団員の皆さんが書いた「海外実習調査の幕開け」を転載したものです)
2018年9月28日付け