≪平成の象徴像の原点 皇太子時代、地方で若者と懇談≫日本経済新聞電子版より  
2019/4/28 20:20
日本経済新聞 電子版


人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添う――。天皇、皇后両陛下の国民に寄り添うスタイルは結婚3年後から始動していた。皇太子夫妻時代、地方訪問のたびに地元の青年男女との懇談会に臨まれた。懇談は2時間に及ぶこともあり、テーマも憲法や農家の結婚問題など様々。いまでは回顧されることがなく、知られざる事実だが、平成の象徴像の原点がここにあった。
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皇太子時代の天皇、皇后両陛下が地元の青年男女と座談会をしたことを伝える1962年の宮崎日日新聞
両陛下が初めて地方での懇談会に参加したのは、1959年の結婚から3年が過ぎた62年5月の宮崎県訪問。同月3日、農業、林業などに従事する19歳から30歳までの「働く青年」11人(男性8人、女性3人)と語り合った。
一問一答を報じた宮崎日日新聞によると、天皇陛下は「豚肉の値下がりで、経営もなかなか苦労が多いでしょう」、皇后さまは「消費者の声を取り入れることが大事だと思いますけど、どうやって聞きますか」などと質問されている。懇談は午後7時45分から9時45分までの2時間。1時間の予定だったが、倍の時間に延びたという。同紙はこの懇談が「ご夫妻の希望で行われた」と記している。
続いて同月7日、鹿児島県を訪問した際の懇談会(青年男女10人参加、2時間半)では、陛下の「いまどういう討議がさかんですか」という質問に、地元の学生が「核実験や憲法改正問題などです」と答えると「憲法問題におくわしい殿下は身をのり出すようにして話題は憲法問題に集中した」(南日本新聞)。
翌63年9月17日には山口県で「農村青年のつどい」と題した男女23人を集めた懇談会が開かれ、陛下が「農家の労働は激しいようだが、若い人がこれからの生活改善をしていくにはどうすればよいのか」、皇后さまは「農村に女性をおヨメにやりたくないとか、行きたくないという話をききますが」「農家のヨメの労働時間はどうなっていますか」と尋ね、活発な議論になったという(防長新聞)。
懇談は各地の農漁村や勤労青年の男女10人程度と行われることが多く、1時間の予定が30分以上オーバーするのが通例だった。とくに意識されたのが辺境で生活する人々との対話で、「辺地の教師、保健婦、保母との懇談」(68年8月、福島県)や「へき地に働く人々のつどい」(71年8月、徳島県)に臨まれた。
地方での懇談会は70年代後半まで続けられていたが、全国メディアで報じられることがほとんどなく、各地の地方紙が詳しく掲載していた。
69年8月の群馬県訪問では、上毛新聞が「あふれる人間味」として、心身障害児の施設で子どもたちの手や頭をなでながら声をかけたり、ほこりの舞う道でも車の窓を開け、スピードを緩めて沿道の人々に手を振る両陛下の姿を描写している。平成のスタイルはこの時期には確立していた。
地方紙の記事を「再発見」し、近著「平成の終焉(しゅうえん)」で引用している原武史・放送大学教授は「懇談会に男女が参加していることが重要。当時は女性の声が反映しにくい時代だったが、美智子妃が会話に加わって、それをすくい上げている。全国を回り、人々と直接やりとりをすることで、夫妻は地域の問題や多様性などを具体的に認識していったのではないか」と話している。
(編集委員 井上亮)