花談議420 ≪ブラジル移民祭とマリコショー≫ しゅくこさんからのお便りです。

マリコさ~ん & みなさまへ
                                    しゅくこです
 
杉井さん、多加代さん、ブラジル移民祭とマリコショーのご報告さっそくいただきましてありがとうございました。
 
たのしかったですね。 もう私の書くことなどないような気がしましたが、書き始めると相変わらずだらだらと長くなってしまいました。 それにいま連休中で、来客やら外出の約束で埋まってしまい、なかなかパソコンの前に座っている時間がとれず、遅くなってしまいました。お暇がありましたらご覧ください。

 

19.4.28(s) Festivalda Emigracao 110年 マリコシショー

 
暑くもなく寒くもなく、風もない、空気がもや~とした春の午後。なんとなく温い(ぬくい)という言葉がぴったりだ。
つまりは、のんびり歩くには最高の季節である。若者たちの半そでTシャツもちらほら。それでも夜は寒くなりそう。

一度洗った冬の軽いコートをまた引っ張り出して出かける。新神戸駅前でバスを降りて東に。
迫る六甲山に沿っていつもの移民ミュージアムまでの一本道。マリコさんのコンサートは春の定番行事。
この道を歩くとウキウキする。途中、異人館通りの北野坂はチューリップの花びらを車道に敷き詰めてデザインした、横約5m, 10mくらいの絵が10枚、みんな神戸にゆかりのあるデザイン。
横目でみながら移民ミュージアムに向かう。帰りに多加代さんと杉井さんに声をかけて寄ってみよう。

1枚目の絵   10枚の絵が坂を染めている
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 移民ミュージアム前は、おなじみになったブラジルの花イペが、金色の花びらを惜しげもなく咲かせていた。
行きかう人々は足を止めてカメラを向ける。にっこりとほほえんで「きれいだね、」と素敵なおじさんが声をかけた。
 
こんなことは初めてだ。連休のせいばかりではないと思う。何の役にも立っていない私が言うのも恥ずかしい話だが、今年になって、50年の花咲爺さんたちの、やっとイペが咲いたというニュースがあちこちから飛び込んできているが、この移民ミュージアムも初めて来たときに比べると、その地道な活動が花咲きはじめている。
歴史が動いているのを一番知っているのはこのイペたちかもしれない。いつ頃このいぺは植えられたのだろう?
ふとそんな想いを馳せる。

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中庭に落ちた金色の花を2枚、手に触れていると、後ろから「しゅくこさ~ん」というマリコさんの声。
こんがり焼けたシャープな顔つきは金色の下で艶よく映えて、半分ブラジル色に染まった仕事人を想わせる。

たくさんのお知り合いに声をかけてお忙しそうなので、コンサートのある5Fに行く。ホールはもう満席。立っている人もいる。

マリコさんを待つ人たちの熱気みたいなものがすでに充満している。こんな熱っぽい空気も初めてのような気がする。
マリコさんが歌いだすと、一番前の床に座っている子供たちの何人かが親指をたてて、「いいよ」とにっこり合図した。
ブラジルで歌ってる感じがしたとじいうマリコさん。

素人の私がこんなことをいうのはおこがましいが、声域、声量の柔軟度がさらに広くなり、それはわたしの力では書き表せない、不思議な魅力的な領域になっていた。それがすべてに花咲いて何かを包んでいる全体にまで表現されているようだ。

わたしは聴いているうちに、これはこの数年間聴いてきたマリ子さんではない、と感じた。
それを告げると、マリコさんは、「実は、自分でもびつくりするほどきれいな声、しっかりした声がでるの。入魂のしかたが変わってきたと思う。
 
ふつうは45才から人の声は衰えると言われてる。でも、わたしの歌の練習は毎朝の読経。そのときに喉やお腹の調子がわかる」そして、付け加えられた「しゅくこさん、わたしは今が一番幸せな時なの」と。
本当の書けなかった理由は、忙しさだけではない。わたしの及ばないそんな領域にただ圧倒されて、それをどう表現していいものか、
茫然とたたずむばかりなのだった。
何も知らない私ごときものがそんな世界を語る術がないところにマリコさんはわたしを置いて行ってしまった。
でも、時間がたつにつれ、素人は素人なりに感動したことを単純に書けばいいのかもしれないと思った。
その幸せのおこぼれを何かの形で共有できるわたしたちも、幸せと言わなければならない。

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お母さまのふーちゃんもずっとブラジルへの公演は一緒だったが、いまは体が不自由になって施設に入っていらっしゃる。
マリコさんがその施設でも歌われている。それに、すぐその近くに歩いてすぐのところに転居されたとか。
いまが一番幸せ、という彼女の言葉は生活の変化も多いに含まれているのだろう。

歌の間の語りのなかに、マリコさんがBrasilに公演活動をはじめて15年のエピソードもいくつかあった。
腰が曲がって杖をついてこられたおばあちゃんが、帰るときには背中をまっすぐにしてお帰りになった話。

マリコさんが歌っている最中、ところどころでおしゃべりの雑音が入る。初めは気になったが、それがおじいちゃんおばあちゃんが一緒に聞きに来た娘や孫に日本への郷愁、思い出話をしている声たちだつた。その反応の中身を知ってうれしく思った。
歓声、拍手、ざわめきがマリコさんの歌が終わる前から起こっている。

今回は、コンサートが終わって、移民ミュージアムでボランティアをしていらして50年のメンバーでもある出石さんが積極的に進めてくださった、「マリコさんを囲んでの懇談会」が付け加えられた。
これも初めての企画かもしれない。1Fの一室にお茶菓子やコーヒーが用意されていた。
出席者はロンドリーナと姉妹都市の西宮の方たち、マリコさんの同級生たち。
 
  マリコさんは積極的にいろんな問題について語ってくださった。それに熱心に質問する人、発言する人たちの、一言も聞き逃せない貴重な数時間であった。
 
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思い出すまま、その一部を下記に記しておきたい。

ブラジル日本文化福祉協会(文教)の文化ホール完成のための寄付運動。「さあはじめよう」の活動をこれまで4回通して、640万の寄付が集まったこと。
5回目はもっと若者中心にしたい。わたしたち、年金生活者でも1食分を出してみんなで助け合う気持ちをよびかけている。
マリコさんの熱弁はその途中で歌まで入る。

日系ブラジル人の若い世代にも、また日本の子供たちにも、ブラジルのことを知ってほしい。
そしてなぜわたしたちがいまここにいるのか、その意味を先人のご苦労があってのことであると伝えていきたい。

もっと日系人の出稼ぎの地位をきちんととらえてほしい。
ブラジルの在日学校を日本は認めていない。日本は受け入れるからにはちゃんと面倒を見るべき。

美談ばかりが多くて、本当のことは伝わっていない。
福島、宮城、などの被災地慰問の公演も精力的に行っているマリコさんはつながっていく力の有形、無形の不思議さも熱心に語ってくださった。

長くなってしまいました。
マリコさん、出石さん、みなさま、本当にありがとうございました。記念すべき一日になりました。
 
久留米のはなさんからもよろしくとの伝言がありました。みんな応援しています。
 
 
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