県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(6)=民謡を通じて結ばれた篠原さん ニッケイ新聞WEB版より

篠原俊巳さんと林節子さん

 カスタニャール日伯文化協会では、篠原俊巳さんによる尺八の伴奏で林節子さんが民謡を披露していた。ガイドのブラジル人・ダラさんは感動し「なんて綺麗な歌声なの!本当に素晴らしいわ!」と涙を流している。会場内は、珍しい民謡の演奏に感じ入るように聴き入った。
そんな会場の盛り上がりに貢献した二人は、実は日本民謡を通して出会って付き合い始めたのだとか。篠原さんは、林さんと手を繋いで「お互いに伴侶を亡くしてね。民謡を一緒にやっていて仲良くなったんだ。今回も新婚旅行の気分で参加している」と惚気けると、林さんが恥ずかしそうに笑った。
記者が日本に居た時は、60代を越えた所謂「シルバー世代」の恋愛をあまり聞いたことがなかったが、コロニアではよく耳にする。恋をして幸せそうに寄り添う姿は、何歳になっても良いものだ。2人が仲良く歩く後ろ姿を見ながら、そんなことを思った。
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昔からの友人である三角圭子さんと天願初江さん

ベレン2日目の夜は、前日も一部の参加者が訪れたエスタソン・ダス・ドッカスを再度見学した。少し中を歩いて土産屋をひやかし、美しい川に夕日が落ちるのを眺めてから夕食を取った。友人同士で仲良く参加している、三角圭子さん(76、静岡県)と天願初江さん(76、沖縄県)が座っていたテーブルに同席させてもらった。
「私はパラー州より皿に北のアマパーという所へ一番最初に入植したうちの一人だったの」。三角さんは、自分の移住事情をそう話し始めた。53年にアマパー州に移住した三角一家は、同地に最初に入植した29家族のうちの1家族だった。
「祖父が酒飲みだったり、色々あって日本で住み続けるのはって。10年で金持ちになって、日本に帰ってくる予定だった。その頃サンパウロへ行くには呼び寄せてもらわないと行けなくて、うちは親戚いなかったから仕方なくアマパーに」。
だが、移住後の生活は決して良いものではなかった。「家は自分たちで作ったけど、昼は暑いから風通しを良くしようと思って窓作らなかったら、夜が寒くて。マラリアに罹った時は、高熱が出て幻覚も見えたの。他にもトカンゼイロっていう大きいアリに刺されて、熱出て仕事ができなかった」。
5人姉妹の長女だった三角さんは、特に家の手伝いをさせられたという。「水なんてないから、バケツで水くみに行ったり、川で洗濯したりね」。
今でも忘れられない怖い思いをしたのは、母親が流産した時だ。「父親が病院に連れて行ったんだけど、その時にちょうど焼畑をしている人がいて、煙が家まで来て怖くて仕方がなかった。もうあんな所では暮らせないと思ったわ」と三角さんは顔をしかめる。実際に、61年でサンパウロに移ったという。
天願さんは、米軍との激しい戦いが行われた沖縄県で5人兄弟の次女として生まれた。父親は戦争で亡くし、「食べる物もなかったからブラジルに来たの」と語る。
今回、天願さんが参加したのは三角さんからこの故郷巡りの話を聞いたため。仲良しの三角さんが行くならと便乗し、皿に「私はアマゾンに行くのは初めてだしね」と人の良さそうな顔で笑う。
三角さんは「私はアマパーにも近いこともあって、今回参加してみたの。トメアスーに同船者が多いと聞いているけど、顔が分かるかどうか」と語る。2人とも、それぞれの思いを抱えつつも、仲の良い友人と旅が出来ることを嬉しそうに微笑んだ。(有馬亜季子記者)