皆さんへ 第136回 江崎道朗著「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(PHP新書 1108)
それゆえ、明治維新の日本が議会制民主主義や自由主義経済を導入しつつ君民共治の道を模索したのは至極妥当なことであったと言える。つまり、日本の保守主義者が保守すべきものとは、聖徳太子が共に是れ凡夫のみと言う言葉で示した人生観であり、明治天皇が五箇条のご誓文で示した自由主義的な政治思想なのである。小田村たち精研メンバー、即ち若き保守自由主義者たちの立脚点は、まさに聖徳太子から五箇条のご誓文、そして帝国憲法へといたる日本の真の伝統であった。其の帰着としての帝国憲法体制は単に条文だけではなく、五箇条のご誓文や御告文も含んでいたし、吉野作造が示した民本主義のように民意を重んじる政治を実現していく憲法習律の蓄積も含んでいた。日本が皇室を戴く君民共治の独立国家として、民のための政治を行い、自由を守っていく。そういうあり方が日本のあるべき姿だと考えられていたのである。
29-如何なる人間も不完全であるからこそ
精研メンバーたちが、戦争は本来短期終結を目指すべきものと迷いなく主張したのも、其のベースに如何なる人間も不完全であるという認識があったがゆえであろう。人間は長期間の戦争に耐えられるほど強くない。頑張りには如何しても限界がある。長期化すれば、どんなに一生懸命に頑張ろうと思っていてもダレてしまう。平時と戦時は別で、戦時は短いほうが良い。戦時が長くなれば、戦時と平時のの区別がつかなくなり、戦時でもダレていくのが人間性の必然だ。だから、如何しても戦争をしなければならないなら、短期間でなければならない、と言うが小田村たちの基本的な考え方だった。そもそも自由主義経済も、議会制民主主義も、如何なる人間も不完全であると言う発想に、極めて親和性のたかいものである。如何なる人間も不完全であるから、市場メカニズムという神の見えざる手をうまく活用したほうが良いのだし、様々な意見を持ち寄って衆議を尽くしたほうがいいのである。そして、明治天皇はじめ幕末から明治を生きた賢人達が大日本帝国憲法に託したのは、その様な国家のあり方だった。ところが、戦前の右翼全体主義者は、その様な本来の日本を真っ向から否定したのである。彼らは明らかに、極一握りの優秀なものが社会を指導するべきだと考えるレーニン、スターリン、ヒトラー式の全体主義に幻惑されていた。だが、この様な全体主義は明らかに、如何なる人間も不完全であると言う思想の対極にあるものだ。不完全ではない優秀な指導者を前提として初めて成立する議論だからである。
コメント
コメント一覧 (3)
昔なら平民がとやかく言うと不敬罪ですね
wadayoshiji
がしました
全体主義国家になる状況を考えてみました。最初に、ハッキリ言えることは、国家に理想とか目的がないことが前提条件になるのでしょう。それぞれ性格や人生観が異なる国民を同じ方向に向けさせるためには中身が有ったらダメと言う事になります。中身が無いから、国民を同じ方向に向かわせ易いということです。そして、社会が平和な大衆社会でバラバラ感があること。国民に判断力や見識が有ったら、国家の中味の無さを見破られてしまう。
この2つの条件が揃ったら、後はどういう戦術を使うのかということになりますが、一番有効的なのはプロパガンダになるのでしょうか。兎に角、全ての国民を同じ方向に向けさせる為に、繰り返し繰り返し同じことを話して国民をその気にさせる。恐らく、ヒットラーやスターリンは巧みな話術を備えていたのでないでしょうか。次に、必要なのが国民に飴とムチを使って恐怖心と安心感与える。では、果たして今の日本には近い将来全体主義国家になる危険性があるのかどうなのか?出る釘は打たれる金太郎飴を増やす社会ですので独裁者は育たないのが日本の社会、一方、日本社会は平和な大衆社会の気がするがバラバラ感はなくて天皇制の元で絆を大事にする国民である。では、日本国民はプロパガンダに騙されない精神武装が備わっているかどうか?残念ながら、大手メディアの隠ぺい偏向報道に少なからず屈している節がある。では、雨とムチ戦術に屈する国民なのかどうか?物欲主義に染まっていたら屈してしまいそうですが、日本の伝統や文化、そして昔からの習慣を大切にして生活している国民を考えれば、この戦術には易々とだまされないと信じたいです。
榎原
wadayoshiji
がしました
現在は 愉快な老人が知らない租税回避地で
ボロ儲け 知らぬがホトケ?
wadayoshiji
がしました