浅海さんの連載記事転載その37です。

皆さんへ 第159回 江崎道朗著「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(PHP新書 1108)

私は以前、岸信介政権から福田赳夫政権にかけて対インドネシア秘密交渉を担当していた中島慎三郎に、近衛総理の事を伺った事がある。すると、それは玉井顕治先生に聞いたらよいとご紹介いただいた。玉井は戦前、戯曲、出家と其の弟子で有名な作家、倉田百三の私塾、生きんとての会にかよい、作家の林房雄や亀井勝一郎らとも交流があった。其の関係で敗戦直後の1946年、昭和21年井上日召の自伝を書く仕事を引き受けた玉井は、日召から直接話を聞き、それをまとめて1947年、昭和22年、日本週報社から日召伝として刊行していた。青年時代に中国大陸において日本軍の秘密諜報員をしていた井上日召は、1932年、昭和7年に起った血盟団事件の中心人物であった。テロに直接関与したわけではなく、連座する形で実刑判決を受け、8年間、在獄した。仮出獄後、自由民権運動団体、玄洋社の頭山満と政友会長老の小川平吉の勧めで近衛文麿総理と会うことになった。1941年、昭和16年3月近衛文麿と会談したところ意気投合し、その後、日召は近衛総理の私邸にに泊り込み相談役を務めるようになった。日米戦争前のあの混乱期に、近衛総理の最も身近にい

た一人がこの日召なのだ。私が玉井にお目にかかって、近衛総理はどういう人物だったのですかとお尋ねしたところ、日召伝の復刻版を取り出され、近衛さんは二重人格者であり、勇気がなかったとおっしゃり、本の一節を示された。そこには、日召が近衛総理の私邸、萩外荘にて近衛総理と初めて会ったときの様子が描かれていた。初めての会見だったが、私は極めて率直に無遠慮に意見を述べた。たとえば、公爵、貴方は二重人格ですねと言うと、近衛公は一瞬不味い顔をして、其れはなぜですかと聞いた。そこでわたしは、 貴方は、京大学生時代から河上肇などの社会主義理論を植え付けられておられるので、今日までも理智的には社会主義を肯定する傾向がおありでしょう。かとおもうと、一方では先祖の天児屋命以来伝承して、貴方の血液の中に脈打っている日本的な魂の直感する非社会主義的な傾向もある。つまり、貴方は理智と直感の分裂で、事毎にふらふら迷っておられる。其れを私は二重人格だと言うのですよ。     
浅海 拝  409頁


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