私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

カテゴリ: 各種行事その他

78年、モジ日系社会ご訪問=日本通りが発展の礎に ニッケイ新聞WEB版より

山元さん
山元さん

 聖市近郊、モジ・ダス・クルーゼス文化協会元理事長の山元治彦さんは、78年に両殿下がモジをご訪問された際、警備にあたり、市内の移民広場を車でお通りになったときに遠くから拝謁したという。「すごい人だかりで、感激したのを今でも覚えている」と話す。
 両殿下のご訪問を記念して、その後、市内には「日本大通」りの名を冠する通りが制定された。現在は、その通り沿いに日系社会の活動拠点となっているモジ文協スポーツセンターがある。奇遇にもその建設の陣頭指揮を執ったのが、陛下と同じ誕生日である篤志家、堀井文夫氏であった。
 山元さんは、「62年には人口10万人だったモジは、今では40万人近くに膨張している。サンパウロの衛星都市としてここまで発展した都市は他にはない」と隔世の感を示し、「在外邦人としては皇室が安泰で、日本には永遠に栄えて欲しいと願っている。皇室のご存在は世界平和にも繋がるものだ」と拝んだ。


奉祝、天皇陛下ご在位30周年=コロニアから感謝の声! ニッケイ新聞WEB版より

憩の園をご訪問された両陛下(天皇・皇后両陛下ブラジル御訪問 p117)
憩の園をご訪問された両陛下(天皇・皇后両陛下ブラジル御訪問 p117)
 24日、天皇陛下ご在位30年記念式典が、東京都の国立劇場で催される。陛下は4月30日にご退位され、平成の御代もいよいよ幕引きとなる。天皇皇后両陛下は皇太子時代の1967年、78年、ご即位後の97年の計3回に及んでブラジルを訪問された。移住者と子弟にずっと心を寄せられ、デカセギブーム以降は、日本国内に還流する日系ブラジル人の生活をも案じ、その幸せを願ってこられた。両陛下に拝謁したコロニア関係者の経験から、両陛下と日系社会との絆を振り返るとともに、ご在位30周年奉祝に寄せてコロニアから感謝の声を集めた。

移民史料館=ご退位の日にあわせて再開館=「両陛下に感謝の意を表したい」
改装工事が進められる7階部分
改装工事が進められる7階部分
 「両陛下に感謝の意を表し、平成から新しい御世の変わり目に、新時代を彷彿とさせる近代的な移民史料館をオープンさせたい」――ブラジル日本移民史料館の山下玲子リジア副委員長は、こう強い意気込みを語る。
 史料館は、78年6月18日の移民の日に皇太子同妃両殿下(当時)のご臨席のもとで開館。移民百周年の08年には、当時進められていたアーカイブ・プロジェクトに対して御下賜金が下賜され、両陛下に温かく見守られながら発展してきた経緯がある。
 退位される4月30日に合わせてオープンすべく7階の改装工事が急ピッチで進められ、9階ではご在位30年特別展として、これまでの両陛下のブラジルご訪問を写真パネルで展示する予定だ。
 山下副委員長は「日本から遥々ブラジルまで三度も足を運んで下さったことは大変重みのあること。両陛下への感謝を表すとともに、次世代に移民の歴史を伝えるべく素晴らしい史料館にしていきたい」といきごんだ。
国外で唯一、両陛下の肖像画=話題を呼んだ67年初来伯
天皇皇后両陛下の肖像画の前で、新年に弥栄を祈る日系団体関係者
天皇皇后両陛下の肖像画の前で、新年に弥栄を祈る日系団体関係者
 史料館9階には、両陛下の肖像画が奉掲されている。これは宮永岳彦画伯が宮内庁に特別許可をもらい74年に描かれたもので、国外では唯一と言われる。67年に初来伯され、南十字星国家勲章を首から下げられた若かりし頃の凛とした陛下が描かれている。
 当時、日伯租税条約が調印され、日本からの投資が過熱していた時代。敗戦から復興を遂げ、急成長を遂げた東亜の一等国から訪れた、若く気品溢れるプリンス、プリンセスは、ブラジル社会でも大きな話題を呼んだ。
 弊紙前身のパウリスタ新聞は《コロニア史上最良の日》と見出しで大々的に報じた。コンゴニャス空港から滞在されたオットン・パレル・ホテルまでの沿道13キロ沿いは、約30万人で蹲ったという熱狂ぶりだった。
山下さん
山下さん
 8万人以上が殺到したパカエンブー競技場での歓迎式典に、当時、高校生コーラスで参加していた山下副委員長は、「老移民が感涙しながら君が代を斉唱していたあの日の感激は忘れられない。両国が経済的に急成長し、移民社会が発展途上にあった重要な時期において、凛とした当時の両殿下のお姿は、移民にとっては祖国日本に大きな誇りを感じさせる大変な出来事だった」と懐かしんだ。

□関連コラム□ 大耳小耳
 08年の日本移民百年の際、ブラジル御訪問をされなかった両陛下は、代わりに群馬県太田市及び大泉町をご訪問になり、工場や小学校で日系人に会われた。昨年末の天皇誕生日の記者会見に際しては、《日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています》とのお気持ちを表明された。その一カ月前には浜松市の外国人学習支援センターを私的にご訪問され、日本語を学ぶ外国人に優しく励ましの言葉をかけられている。国策として送り出された日本移民の労苦を思いやるがゆえに、来日する日系人にまで温かい眼差しを向けられる陛下。こうした心遣いは日系子弟にとっては有り難い限りだ。

戦後に生まれ、平成で熟した団塊世代の終活=ヴィラカロン在住 毛利 律子 ニッケイ新聞WEB版より

映画『エンディングノート』のサイト
映画『エンディングノート』のサイト

 第2次世界大戦が終わった1945年から1952年ごろの間に、世界的にベビー・ブームという現象が起こり、北米、欧州、オセアニア、日本など、世界各国でたくさんの子供が生まれた。アメリカではこの時期に生まれた子供(ベビー・ブーマー世代)は7820万人。日本では、この現象を「団塊の世代」(堺屋太一の造語)と言い、焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代で、1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)生まれとしている。


 実に、この3年間の各年間出生数は260万人を超え、3年間の合計出生数は約806万人にのぼり、2017年の出生数94万6060人の約2・8倍という驚異的出生率である。厚生省の医療制度上の区分では、前期高齢者になる。(厚生労働省統計、人口推移)
 思えば当時は、どこもかしこも子供で溢れていた。小中学では一クラス50人以上の人数が十何組もあったし、朝礼では校庭の端まで生徒が並び、運動会の賑わいはたいへんなものだった。
 この世代は、日本経済においては戦後復興の高度経済成長や、バブル景気を経験した。昭和時代は青春を謳歌し、平成時代は熟年齢に達した。長く続いた平和な時代のお陰で未曽有の超高齢化社会となり、様々な制度が整備され、その恩恵に浴している。
 
▼団塊世代が直面する終活の厳しさ

 高度成長期の中で元気よく生きてきた団塊世代は今、「終活」の時期にいる。「終活」とは「人生の終わりについて考える活動」を略した造語で、2009年に出版された本をきっかけにして徐々に広がりはじめ、2011年に公開された映画『エンディングノート』などで社会現象になった。定年退職した「団塊の世代」は、終活を行うことで、自分の状況を客観的に把握し、整理する。「死」までの余生に、遺された家族に負担をかけないために、事前準備としての現実的な身辺整理をしなければならない。しかし、これには想像以上の物理的、精神的な困難が待ち受けているようだ。
 それでは「終活法」について、多くの情報から、次のように要約して紹介する。

▼身辺に溢れた「もの」の整理

★身辺に溢れた「もの」をどう整理するか。
 集めに集めた新聞、週刊誌記事のスクラップ、映画のパンフレット、音楽カセットテープ、CD、VHS録画テープ、レコード、そして膨大な家族写真、家電用品、骨董品、古道具、家具等々。桐のタンスにぎっしり詰まった、たとう紙に包まれた着物や帯。買い物依存症という魔病に罹って、ひたすら買い漁った有名ブランドのバッグや洋服など。また、2000年以降に本格化したコンピューター時代には、パソコンの中にたくさんのことを溜め込んだ。このようなデジタル遺品などは、一発消去をしてくれるところに依頼する方法もあるが、ほとんどは持ち主が健在なうちに処分するしかない。哀しいことだが、「自分のコレクションは他人のゴミ」と諦めるしかないのである。自分の生活の豊かさを表した品々は、買い集めた本人が涙を呑んで処分しなければならないのが、終活の第一段階である。
★「蔵書の処分」について。
 これも大変なことらしい。評論家の立花隆氏は20万冊を超える蔵書があるという。著名な文筆家は数万、数十万の蔵書があるというが、それらの本は何処に収まるのであろうか。私の知人に植物学の名誉教授がいた。その先生亡きあと、奥様とお弟子や大学関係者、市の図書館関係の人々は、丸三年かけ、連日先生宅に籠って蔵書、標本、論文等の整理に取り組んだ。奥様は、全てが終了したのち、疲れで一年ほど入院生活を送ることになった。
★勢いで建てた豪邸は、「減築」しなければならない。
 そうでなければ早々と売って、アパートか老人ホームに引っ越しする? なんとも遣りきれない話である。
★法的効力を持つ遺言書と自分史的なエンディング・ノート
 エンディングノートは市販でも、自作でもよい。法的効力は無いということをまず知っておこう。
 記載することは、
【本人情報】名前、生年月日、血液型、住所、本籍地
【自分史】学歴、職歴、結婚、出産、夫婦の記念日、マイホーム購入時期、歴代のマイカー紹介、職場での功績、馴染みの土地、幼少期から各年代の思い出、特技、趣味など
【関係する人物との間柄や連絡先】家族、兄弟、親戚、同居していない家族、養子、家系図、友人、知人、職場関係者、恩人、法的関係の相談者など
【財産について】預貯金、口座番号、公共料金などの自動引き落とし情報、クレジットカード情報、基礎年金番号、各種加入保険、株式、不動産、借入金やローン、骨董品、貸金、有価証券や金融資産など
【介護や医療について】
希望する介護や医療施設、費用、後見人(財産管理などを任せられる人)、延命措置の詳細、臓器提供、介護や治療方針の決定者、医療カウンセラーなど
【葬儀について】喪主に頼みたいこと、宗派や宗教、戒名や法名、葬儀業者や会場、遺影写真、参列者リストなど
【お墓について】埋葬方法、希望墓地、購入費用、墓地の使用権者、墓地の継承者、手入れ、お供え物など
【遺言書について】遺言書は財産の処分方法、遺産相続や子どもの認知といった法的効力があるものに限られる。自筆遺言の場合はたとえ夫婦であっても、家庭裁判所以外死後の開封はできないし、医療・介護などの生前についての希望も記せない。遺産分割の内容、遺言書の有無、相続リスト、それらの保管場所など冷静に判断して記載する。
    ☆
 超高齢化社会となった日本は今、「多死社会」でもある。自分の持ち物は全て処分した。葬式も簡単で好い。お墓も要らない、という感情的な考え方に走らず、落ち着いて「死」をめぐる現実的問題をしっかり見据えていかねばならない。
「生きている者には、時に先祖と死んだ者が必要である」という言葉がある。ある調査では、「私は死んだら無」と考える人でも、「大切な人の死は無ではない」、「亡くなった人はいつまでも自分を見守っている」という矛盾した感覚を持っていることが明らかになった。
 故人を忘れず、いつも見守ってくれているという感覚は、遺された人が生きるための大きな原動力になるということである。葬儀にしても、お墓にしても、何事も多様化した現代ではあるが、誰もが安心して死を迎えるためにも、今のうちに出来ることを果たさねばならない。
 自分らしい終活ができたら、「画竜点睛(物事をりっぱに完成させるための最後の仕上げ)」と自分を褒めてあげよう。


平成30年秋の叙勲 7管内で17人が受章 サンパウロ新聞WEB版より

右上から高橋氏、貞方氏、元山氏、石井氏、安見氏、宮本氏、丸岡氏、スズキ氏、梅田氏、西尾氏、岩原氏、有田氏、金城氏、原氏、ミウラ氏、トーレス氏、長井氏
 平成30年度秋の叙勲として、在ブラジル日本国大使館管内3人、在サンパウロ(聖)総領事館管内5人、在リオ総領事館管内2人、在クリチバ総領事館管内3人、在マナウス総領事館管内1人、在レシフェ総領事館管内2人、在ベレン領事事務所管内1人の計17人(うち、外国人叙勲は10人)がこのほど決定した。叙勲受章者は次の通り。
【邦人叙勲】
◆高橋實氏。旭日双光章。94歳。ブラジリア市。聖州グアララペス市臨時市長、ブラジリア連邦区日伯体育娯楽協会会長などを歴任し、伯国での日系人の地位向上に貢献。
◆貞方賢彦氏。旭日双光章。76歳。聖州コチア市。ブラジルヤクルト商工(株)代表取締役社長、ブラジル日本商工会議所会頭を歴任。ヤクルト商工設立メンバーの1人として渡伯し、法制度や商習慣の違いから生ずる諸問題の解決に尽力することで、同社の発展及びブラジルでの日本企業のイメージ向上に貢献。
◆元山光男氏。旭日双光章。89歳。聖州アラサツーバ市。アラサツーバ日伯文化協会会長、ノロエステ連合日伯文化協会副会長を歴任。アラサツーバ日系社会で日本語モデル校の創設や太鼓グループ創設に携わり日本文化の普及に尽力。
◆石井千秋氏。旭日単光章。77歳。聖市。柔道家
及び柔道場経営者。伯国柔道界初となる五輪メダルを獲得し、ブラジル社会に柔道ブームを巻き起こし、日本発祥の武道である柔道の認知と普及に貢献。現役引退後は自身の道場で、聖州柔道連盟の強化コーチとして選手の育成に努めた。
◆安見清氏。旭日単光章。78歳。リオ州ペトロポリス市。元アタ燃焼機工業(株)取締役社長で現ペトロポリス日系協会会長。ペトロポリス市での対日理解の向上及び日伯の文化交流に大きく貢献。
◆宮本倫克氏。旭日単光章。75歳。アマゾナス州
マナウス市。エフィジェニオ・デ・サーレス移住地自治会会長、西部アマゾン日伯協会第1副会長などを歴任。エフェジェニオ・デ・サーレス移住地内の相互の親睦を深める一方、移住地外のブラジル人社会やマナウス市への進出日本企業との積極的交流にも尽力。
◆丸岡義夫氏。旭日双光章。71歳。パラー州アナニンデウア市。元コケイロ日本人会会長、元汎アマゾニア日伯協会会長、元北伯日本語普及センター理事長。汎アマゾニア日伯協会の周年行事を成功に導き、同協会機関誌の編集や発展にも寄与。日本語能力試験をベレンへ誘致した他、北伯地域の日本語教育普及活動に貢献。
【外国人叙勲】
◆タエ・スズキ氏。旭日中綬章。73歳。聖州。サンパウロ大学日本文化研究所所長、ブラジリア大学文学部外国語・翻訳学科日本語コース教授などを歴任。ブラジル国内外の名門大学で40年以上にわたり日本語を教え、日本語普及に寄与。
◆梅田寛ワルデマル氏。旭日双光章。66歳。ブラジリア市。ブラジル中西部日伯協会連合会副会長、ブラジリア日伯文化協会副会長などを歴任。非日系人を含む地域住民間、また現地行政と日系社会の連携強化に貢献。

◆西尾義弘ロベルト氏。旭日双光章。75歳。聖市。伯日文化社会統合協会会長、ブラジル日本文化福祉協会副会長を歴任。
 宮坂国人財団で日系団体の活動支援及び日伯文化交流促進に尽力。

◆岩原勝一氏。旭日単光章。85歳。聖州スザノ市。スザノ文化協会会長、汎スザノ文化体育農事協会評議委員会委員長などを歴任。スザノ市での日本文化イベントの実施や日本語教育の活性化等を通じて現地での日伯交流促進に尽力。
◆有田久雄氏。旭日中綬章。73歳。リオ州ペトロポリス市。元国立産業財産権庁長官。ブラジルでの日本の知的財産の保護及び知的財産分野の日伯間交流の促進に寄与。
◆金城芳光ロベルト氏。旭日双光章。71歳。パラナ州ロンドリーナ市。ロンドリーナ市議、ロンドリーナ沖縄県人会会長などを歴任。ブラジルでの日系人の地位向上及び日伯間の相互理解の促進に寄与。
◆原清ルイ氏。旭日双光章。66歳。パラナ州クリチバ市。現クリチーバ日伯文化援護協会会長、元ブラジル出稼ぎ協会会長。日伯間の友好親善及び相互理解の促進に寄与。
◆テレーザ・ミホコ・ミウラ氏。瑞宝双光章。63歳。パラナ州クリチバ市。元在クリチバ総領事館現地職員。日本国在外公館活動に寄与。

◆オギバウダ・デバイ・ソウザ・トーレス氏。旭日双光章。80歳。バイア州サルバドール市。現バイア州伯日文化協会会長、元サルバドール・カトリック大学音楽院教授。
 音楽を通じた日本的精神を伯国音楽分野にも浸透・発展に尽力。バイア州伯日文化協会を創立させるなど、日伯両国の文化交流及び相互理解の促進に貢献。

◆長井忠雄氏。旭日双光章。83歳。ペルナンブコ州レシフェ市。現ナガイ道場館長、元レシフェ日本文化協会会長、元ペルナンブコ柔道連盟会長。
 ペルナンブコ柔道連盟を創設し、同州全体に柔道を普及させ、礼儀を基本とした日本の柔道普及に貢献。

2018年11月6日付
石井千秋氏、平成30年度秋叙勲受章祝賀会の開催のお知らせ

ブラジル稲門会長期組各位

此の度、本年度、日本国、秋の叙勲の発表があり、我がブラジル稲門会の石井千秋先輩が旭日単光章を受章されることになりました。

就きましてはブラジル稲門会の幹部及び長期組有志の方々で祝賀会を開き、石井先輩の栄誉を称えるとともに皆さんでその喜びを分かち合いたいと思います。

天野会長からはご自宅を祝賀会の会場として提供していただけることになりましたので、日時は12月22日〔土)のお昼〔12時)から、祝賀会を開催したいと思います。

恐れ入りますが出席の可否(人数)を至急お知らせ下さい。(出席者の人数次第で料理を仕出しにするか、一品持ち寄りにするか、決めたいと思います)。

以上、よろしくお願い致します。

ブラジル稲門会 幹事長 足立 操

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石井千秋氏

◆石井千秋氏。旭日単光章。77歳。聖市。柔道家

及び柔道場経営者。伯国柔道界初となる五輪メダルを獲得し、ブラジル社会に柔道ブームを巻き起こし、日本発祥の武道である柔道の認知と普及に貢献。現役引退後は自身の道場で、聖州柔道連盟の強化コーチとして選手の育成に努めた。

≪2018年南伯日本語教師春季研修会≫恵子の書道入門=ワークショップ(その2=実践編)

分り易い文字の成り立ち、書道=芸術と云う簡単な講義の後、場所を教室に移して先生方が興味を示して書道の実践の取り掛かりました。
墨をする作業は、説明だけで墨汁を使い筆のお越から教材に従い実践、手を汚さない、書いた紙は、床に直には置かない、細々した注意事項を聞きながら日本でお習字をしたことのある先生は、子供の頃を思い出しながら、初めて人はワクワクしながら筆と墨汁で楽しんでいました。私は皆さんの実践振りを写真に納め歩いて自宅まで2時間弱掛けて戻りました。写真を貼り付けて置きます。

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