私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

カテゴリ: 日本学生移住連盟 外史

北伯トメアス移住地の高松寿彦さんへ!

ポルトアレグレを訪問して頂き奥様が作られたクプアスのジャム他、当地では手に入らない珍しいものを頂いておりながらお礼が遅くなってしまいました。カリフォルニア旅行、大腸ポリーブ切除と続きましたが、やっと一息ついています。高松さんから頂いた眞子親王ブラジル訪問写真集と高松さんご自身が書かれ出版された「アマゾンのアグロフォレストリー」を置いて行っていただきましたが、もし原稿がWORDで残って居れば送っていただけませんか?出来れば連載で仲間内の50年!!で紹介し皆さんに読んで貰いたいのですが、可能でしょうか?毎回の字数等は、当方で適当に調整させて頂き写真等も使わせて頂きたいと思います。
勝手なお願いですが、宜しくお願いします。50年!!と共に学移連ALLにも送らせて頂きます。

下記写真は、頂いた本から撮りました。
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北伯トメアス移住地の高松寿彦さん三重大OBご夫妻がポルトアレグレを訪問されました。

北伯トメアス移住地に1973年着伯後住んで居られる三重大OBの高松寿彦さんご夫妻が遥々ポルトアレグレ迄来られ昨晩、回転寿司桜で夕食をご一緒させて頂き、今日は、風車小屋公園のことじ灯篭、我が家で墨絵、書道の恵子の作品を選んで、アトリエ和にも立ち寄りクリチーバに向かうご夫妻を飛行場迄お送りしました。関係写真を貼り付けて置きます。

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折角なので美味しい肉をと思ったのですが、長崎の五島育ちの奥様が魚が良いとの事で。。。

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デザートに羊羹を頼んだらこんなきれいな洋館が。。。


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すっかり定着した風車小屋公園のことじ灯篭の前で。。。
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風車小屋の前での記念写真。

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ポルトアレグレのシンボル、ラッサドール(ガウショ像)の前で。。。

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クリチーバに向け元気に旅立たれました。

≪ 故新井範明氏30日ミサ案内状≫ がベレン在住の佐藤卓司さんから届きました。

学移連OB会の皆様
トメアスーから、故新井範明氏の30日ミサへの案内状が学移連ブラジルOB会に来ています。
その案内状写真を、トメアスーの校友から送ってくれましたので、添付致します。
ミサは、47日(日)午前中に、トメアスー十字路のサンフランシスコ シャビエル教会で行われます。
ベレンの田部、御守、佐藤は、残念ながら参加できません。
謹んで、追悼の気持ちを表します。
 
佐藤卓司

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皆様のご支援に感謝して 【月刊「聖母の騎士」2001年6月号より転載】


学生時代の1962年暮れにトメアスー移住地を訪問した際、同じ1962年に上智大学を終えられて奥様とアマゾン開拓の大望を抱きピメンたー栽培に従事40年近くトメアスー移住地に根を据えて現在も熱帯農業と環境問題と取り組んでおられる大先輩に今年の初めに再会することが出来ました。是非何か『私達の40年!!』に原稿をとお願いしておりましたが、実現しないままになっていたところ、インターネットでトメアスーを検索したところ奇しくも新井さんの「皆さまのご支援に感謝して」という一文が2001年6月号の月刊「聖母の騎士」に掲載されているのを見つけました。新井さんのご同意を得てこれをご夫妻の写真と共に転載させて頂きます。新井さんは、上智大学時代からの敬虔なカトリック信者でトメアスー文化協会の会長も勤められた方です。現在は俳句も嗜んでおられ「断ち切れぬ二つの祖国 移民の日」 伯石 の一句を頂きました。

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私がブラジルのアマゾンの一番古い植民地トメアスー村に移住したのは、1962年のことでした。日本側と現地側の共同出資による胡椒(こしょう)栽培の支配人として着任いたしました。夫婦二人で移住して10年目に、両親がトメアスー文化協会の招聘(しょうへい)を受けて来伯し、孫4人の日本語教育をしてくれました。一九七二年のことです。両親とも教師で、ペルーなど海外日系人の子弟教育のため、文部省から派遣された経験を生かし、再びブラジルのアマゾンまで来てくれました。5年間にわたって日本語教育に専念した両親は、一九七七年故郷の北海道旭川市へ帰りました。
 そのころから「聖母の騎士」を愛読していた母は、ブラジルの私たちに「聖母の騎士」を送って、励ましてくれました。父が亡くなってから母は、北海道・月形町にあるカトリックの藤の園養護ホームに移りましたが、毎月、「聖母の騎士」は送り続けられてきました。
 過日、国際電話をした折、母に「聖母の騎士」のお礼を言ったところ、母は「もう送っていない」とのことでした。このとき、初めて、御社のご好意で、「聖母の騎士」の送付が続けられていたことに気づいた次第です。母の愛がこのような形で引き継がれていたことに感謝の気持ちで一杯です。心よりお礼申し上げます。
 アマゾンの原生林の中に移住して現在までの39年間、開拓生活の中で心の支えとなってきたのは、カトリック情報で唯一「聖母の騎士」でした。「聖母の騎士」が私の信仰を守ってくれました。ほんとうにありがとうございました。
 最近届いた「聖母の騎士」2001年1月号では、お元気そうなローシャイタ神父様や八幡とも子さんの特集記事があり、「聖母の騎士」を通して、お互いに強い絆で結ばれていることを実感しました。
 現在、私は公職を辞してアマゾンの農業に専念しております。所有地内には原生林や川もあり、自然を大切にした森林農業をテーマに、熱帯雨林の持続する有機農法に向かっています。ゴムの樹、ティンデン椰子、カカオ、クプアスー、アセロラなどの樹木、熱帯果樹を植林しながら胡椒の栽培なども試しています。原生林は種子を集めて再生林の植林のため、永久保存にしたいと考えております。これからは、アマゾンの環境問題を中心に活動してまいりたいと希望しております。
 
2001年2月20日
ブラジル・パラ州 トメアスーにて


■訃報■吉永正義さん ニッケイ新聞WEB版より

吉永さん(提供写真)
吉永さん(提供写真)
 アマゾン地方やペルー日系社会と長年交流を続けてきた福岡市在住の吉永正義さんが、3日、市内病院にて癌のため亡くなった。享年79。
 吉永さんは、北九州市出身。拓殖大学在学時の62年に学移連第3次南米実習調査団として渡伯。帰国後は、北九州市でコーヒー会社経営や地元青年会議所の理事長を務め、これまでに39回南米を訪問した。
 過去5回に渡り歌手・菅原やすのりやハルの親善公演を南米各地で実施した他、95年には福岡県にペルーにおける学校建設を呼びかけ、貧困地域に幼稚園、小中学校を寄付した。
 08年には学移連50周年ブラジル訪問団団長として渡伯し、南米で暮らす学移連OBとの結束を強めていた。

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