私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

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第49回県連ふるさと巡り⑮ サンパウロ新聞WEB版より

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山田さん夫婦

アラサツーバ管内最古の植民地へ

 午後2時頃から観光を終えてホテルに戻った一行は、同6時の集合まで自由時間に。記者は、本来旅程に組み込まれるはずだったアラサツーバ管内最古の移住地、アグア・リンパ植民地(旧ビリグイ植民地)に向かった。
 同移住地の起源は1912年に創設された、10人の出資者によるイギリス系移民の投資会社が同地を開拓する植民事業に乗り出したことに端を発する。14年の同社総会では、社名を「テラス・マデイラス&コロニザソン・デ・サンパウロ」と改めて、5万アルケールに及ぶ巨大面積分譲に踏み切った。
 13年頃には、鉄道ノロエステ線のバウルーから奥地までの工事も進み、その間に同社はコーヒー精製機や精米機など機材の調達など着々と事業を進めていたとされる。同年にはサンパウロ拠点の新聞社などに土地の分譲販売を広告として掲載し、移住者を集めた。
 15年には、宮崎八郎氏が同地日本人移住者のための通訳として雇われ、アラサツーバ管内、ビリグイ地域最初の植民地として入植が始まる。同年に大原恵吉、貝原義人、東島初一、川床栄吉、一ノ瀬勘助、鐘ヶ江藤太郎、宇治野順次、日野千太郎、千原元吉、阿蘇徳次、酒井徳太郎、浜逕敬太郎を家長とする12家族が草分けとして入植し、3年間で100家族以上の日本人が居住していた記録が残っている。その後、戦後の57年まで同地への入植は続いた。
 同地生まれの山田英一さん(84、3世)は、同地の浮き沈みを間近で見て来た。山田さんによると、同植民地の最盛期には、300家族以上が居住しており、植民地内は、所せましと家が並んでいたが、現在は4家族のみとなっている。
 山田さん夫婦は、90年頃からバナナ園を営んでおり、「バナナで生活できている。ここは影が無いから美味しくできる」と言い、続けて綿花や落花生など同地では過去に様々な作物が栽培されてきた歴史を話してくれた。
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安瀬商会のカフェ精製所跡
 入植当初、コーヒーが主産業だった同地では14年、グァタパラ耕地に入耕した実業家・安瀬盛次(あんぜ・もりじ)氏(=援協初代会長)が、翌15年にコーヒー農園を購入。安瀬氏がアラサツーバ市内に「安瀬商会」を設立し、同地の生産者を牽引した。同地には、現在はあまり使われていないものの、安瀬商会のカフェ精製所跡が残っており、精製機など機材も当時のものが残されている。(戸)(つづく)

アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《33》=過去を顕彰する墓と森=未来に挑戦する日系学校 ニッケイ新聞WEB版より

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写真=1980年代に盟友の千葉三郎氏らの墓参りをする岸信介元首相(中央、トメアスー文協提供)

 トメアスーのサントメ墓地には、移住地に支援を惜しまなかった千葉三郎日伯議連会長、南拓を主導した鐘紡の武藤山治社長、開拓最前線で悪戦苦闘した福原八郎南拓社長、胡椒をもたらした臼井牧之助氏、東京農大拓殖科の杉野忠夫初代科長の5人の墓がある。
 〃第二の故郷〃トメアスーに自らの墓を建てようと発案したのは、千葉三郎氏だった。
 「アマゾンと墓」という同氏の文書の中で、75年8月の除幕式の様子を「45年前、私共と渡伯して不幸に亡くなった方々への供養もでき一安心した。特に福原さんは、南拓社長としてベレンに駐在させられたが、調査不十分のそしりを受け、四面楚歌、失意の内にこの世を去ったのはお気の毒であった。今日はその恩義に報いたわけで感慨は私一人ではない」と記している。
 鐘紡中興の祖とまでいわれた武藤山治は、1930年に社長を辞し、32年に政界(衆議)も引退。その後、師と仰ぐ福沢諭吉が創立した時事新報社長となり帝人事件を通して政財界の腐敗を糾弾している最中、34年に鎌倉の別邸を出たところで狙撃され死去した。
 翌35年に南拓本社は植民事業を断念し、福原八郎社長が万感の涙を飲んで引責辞任した経緯は6節に詳述した通り。
 武藤山治の墓には次女が大切に保存していた「血に染まった鎌倉の砂」を、福原八郎の墓には老眼鏡と万年筆を遺品として納めた。
 臼井牧之助さんの実娘は女優の小山明子で、夫は映画監督の大島渚だ。84年9月15日にベレン総領事館の招待で夫婦は移民55周年を祝うために来伯し、高齢の父の代わりにグラン・クルス章を受け取った。
 千葉、臼井、杉野3氏は死後、実際に分骨し、納骨法要が行われた。
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 70周年事業として97年に文協敷地内に「初期移民の家」が完成した。88平米の木造住宅で、先駆者の苦労を忘れまいとする試みだ。同年に「移民の森・千本林」造林事業も開始した。当時、開拓先亡者は740人だったが、昨年には820余人を数えた。
 同森造林委員長だった坂口陞さんは、入植百周年を見すえた事業として考え、その時までに1千柱の先亡者になることを予想し、それを慰霊する森として構想している。
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 その森のすぐ横に、トメアスー文協が経営する日系学校(Escola Nikkei de Tome-acu、武田タケコ・ダッシ校長)がある。02年1月に開校され、日英ポ語の3言語教育に取り組んでいる。
 45人から始まり、現在は123人もの生徒がいる。日系生徒は約半分で、郡唯一の私立校だ。海谷英雄文協会長は「教育の質に重点を置きベレンから先生に来てもらっている」という。学生寮を改修した建物で10教室、教師は16人。小学校から高校まである。
 海谷会長は「ベレンまで出すと一人1500レアルかかる。ここでやれば400レアルですむ。何よりも親と一緒に生活できる」と創立した理由を説明する。
 思春期に町に出すと感化されやすく、日本語に興味を失い、トメアスーに戻ってこなくなる可能性が高くなる傾向があるという。「将来的には大学まで作って、後継者がここに定着してくれるようにしたい」。
 それとは別に日本語学校も運営する。男子20人、女子36人が学ぶ。先生は4人で、週2回午後1時から5時まで。日本語検定試験では2級合格者も出している。
 日本語学校では日本文化の継承に力を入れており、ここが主催して年に一度、日系学校の生徒と一緒に運動会も盛大に行っている。
 海谷会長は「次の世代を育てることが我々の最大の使命です」と日系学校と日本語学校の連携に期待する。この二つが合わさってアマゾン版〃日伯学園〃構想といえる役割を果たしている。
 今回の80周年では日系学校の改修工事が行われた。未来への投資だ。
 現在トメアスーには約250日系家族が住むが、うち文協会員は200家族を誇る。「一世は全員入っている」(海谷会長)という結束から、過去への敬意と未来への投資が生まれている。(続く、深沢正雪記者)

《ブラジル》南部3州で厳しい冷え込み=国立気象観測所が警告発す  ニッケイ新聞WEB版より


2018年6月8日

サンジョアキン市では野原一面に霜が降りた(Mycchel Hudsonn Legnaghi/São Joaquim Online)

 国立気象観測所(Inmet)が7日、ブラジル南部の3州では、9日まで、最低気温が5度以下の日が続く可能性があると警告を発した。
 サンタカタリーナ州では、7日朝7時30分現在の気温が5度以下だった市が42あり、野原や畑が霜に覆われた。
 最も寒かったのは零下3・8度を記録したウルペマ市で、ボン・ジャルジン・ダ・セーラ市でも零下3・3度となった。また、フライブルゴ市とクリチバノス市で零下0・8度、ポント・アウタ・ド・ノルテ市とサンジョアキン市で零下0・6度、パウメイラ市で零下0・3度と、零下を記録する町が続いた。未明に零下3・6度を記録した所もあったサンジョアキン市では、郊外の野原や車の窓ガラスなどが、一面、霜で覆われていたという。
 南極方面からの強い寒波は、リオ・グランデ・ド・スル州やパラナ州も覆い、6日から厳しい冷え込みを招いている。この寒波は今後、南東部や中西部の一部に達する見込みで、ロンドニア州やアクレ州でもその影響が出そうだという。
 また、大西洋上に発生するサイクロンのため、南部と南東部では、海岸部を中心に、時速80~90キロの強い風が吹くとの予想も出ている。外出時には、寒さ対策と強風対策が必要だ。(7日付G1サイト、アジェンシア・ブラジル、フォトス・プブリカスより)


大型寒波で雪だるま登場=サンタカタリーナで零下続出 ニッケイ新聞WEB版より

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霜で覆われた植物の葉(Mycchel Hudsonn Legnaghi/São Joaquim Online)
 






 大型の寒波が到来し、サンタカタリーナ州の山間部では、最低気温が零下を記録した町が続出。霜を集めて作った雪だるままで登場した。
 りんごの里として知られるサンジョアキン市のペリコ渓谷では、24日未明に零下6・5度を記録した。同市では、市街地でも零下5・2度を記録しており、市街地も郊外の草原なども、皆、霜で覆われて真っ白になった。霜を集めて雪だるまを作る人まで現れた。

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霜を集めて作った雪だるま(Mycchel Hudsonn Legnaghi/São Joaquim Online)
 同州では、パイネル市で零下7・2度を記録した他、ボン・ジャルジン市で零下6・8度、ウルペマ市でも零下6・3度など、山間部の町々で軒並み、零下を記録した。
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霜で真っ白になった野原(Mycchel Hudsonn Legnaghi/São Joaquim Online)







 また、厳しい冷え込みにより、高速道路などの路面も凍りつき、スリップ事故などが起きやすくなっているので注意が必要だ。
 ブラジル南部では25日も早朝は霜が降りる、寒い日が続く見込みだ。
 なお、ブラジル北東部では海岸部を中心に強い雨が降っており、土砂崩れなどが起きる可能性もある。雨の区域は、北東部の海岸部とブラジル北部、中西部の一部となっている。(24日フォトス・プブリカス、グローボプレイサイトより)


斎藤さんに託す丸木さんへの贈り物を用意しました。

7月の14日(金)午後から17日夕刻まで丸3日間、トロントからポルトアレグレに街を歩きに斎藤さんが来られます。目的は、1日3万歩、合計10万歩を私と歩きたいとの事で楽しみにしていますが、さて天候は?体調は?そんなに歩けるでしょうか?車で遠出をすれば無理でしょうね。
と云うことで土曜日の遠出の際に有名なカシャサリアCASA BUCCOに立ち寄った時に斎藤さんに持って行って頂く高級カシャーサのカップ付きのセットを購入しました。

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リオグランデの山岳地方では冬が寒くサトウキビは出来ないのですが、川の傍で霜が降りない場所に無農薬で育てたサトウキビで作った手作りの高級ピンガをあるCASA BUCCOに栗原先生をお連れして美味しいカイピリニアをその場で作って貰い飲ませて貰いました。レモンを切り、砂糖を入れカップで計ったピンガに適量の氷をいれ出来上がったカイピリニアは、とても口当たりが良く美味でした。運転手の恵子は匂いだけで我慢してリコールでカシャーサを家に着いてから飲むと買い込んでいました。

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