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≪ARUJA Golf Club USA TOURの報告 最終回≫ 村松さんからのお便りです。
5回目から旅行日程も6月とする事で全米全土の何処でも旅行企画することが出来た、そして15人乗りの大型Van2台と荷物専用Van1台を使う事でより充実した旅が出来るようになり、運転もアメリカ滞在経験を持つ3名でキャラバン旅行となリ、24時間をフルに使っての旅となり宿泊も町の郊外のInnやMotelにする事で、部屋への出入りも簡素化され同時に料金面でも格安となり、食事も旅先で自由に停車し好みに合わせた食事が出来、旅の内容も時間を駆使してより多くを見学できることができた。
この町は1847年Mormon教徒によって作られた町である、1830年New York でJ Smith氏によって起教、その後多くの迫害を受け1846年キリストの伝言により西部への大移動を始めMissouriやMississippiの大きな川越え、インデアンとの戦いそしてRocky山脈越え等の幾多の困難と犠牲を出し、SaltLake Cityへ辿り着く、そこはキリストの生まれた塩海のイスラエルと類似した地であり此処に教団は定住し本山を建設した。
5日目:今日は「Yellowstone 国立公園」をくまなく散策する、早朝の出発であったが途中の道路をバッファロー(野牛)の群れが横断し30分足止めされる、この公園は野生動物が人間より大切にされている、「OldFaithful」の1時間毎に噴出す熱水を見学、マグマによって温められ湧き上がる溜池、そして待望のバッファローの群れがあちこちで見られ、またBlack Bear親子も車窓から見つける事ができた。夏休みとあって見学路はどちらを向いても観光客で賑わっていた、国内の家族連れ、欧州系、インド・アジア系、そして最も集団でガイドの旗に付いて大声を出して歩いている中国系が目に付く。
8日目:午前中「BuffaloGC」にて3回目のゴルフ大会を開いた、激しい上下の傾斜のコースでラフは長い草で覆われ難しいコースであった、それでも70台で回るシニアーには驚いた、殆どの皆さんは90台少々で他は100台で残念なプレイであった。Buffaloの町は名前の通りバッファロー(野牛)の生息する自然であったが西部開拓が始まり大陸横断鉄道が敷かれ東部からバッファロー・ハンターが大挙してやってきて殺傷したお陰で激減していった歴史がある、土地のインデアンは必要なだけ殺傷し総てを利用したが、欧州からの移民への土地のインデアンとの戦い長い間続きインデアンも激減していった哀れな物語がある。現在は連邦政府による自然保護区が設けられ生息数も増加している。Rapid CityのあるSouth Dakota 州に入る手前で「Devils Tower国立公園」がありそこを訪ねた、なだらかな丘の真ん中に突如現れた岩の塊、火山活動でマグマが冷えて固まり長年の侵食でこの岩の塊だけがが残ったと言われる、麓から300m昇りそこから岩の高さは約100mの見事な存在感を示していた。その後宿泊はWyoming州とSouth Dakota州の州境の町Rapid Cityであり、此処はYellowstone より更に観光客で賑わい各種の店舗や食事どころも繁盛していた。
9日目:忙しい一日になる、最初の訪問は「WindCave国立公園」である、アメリカで3番目に大きな鍾乳洞であり世界では7番目と言われている、地下30mまでエレベーターで降り、鍾乳洞内部の300mくらいを歩いて見学する、延長は2,000mになるがシニアーは此処までが限度である、この鍾乳洞の鍾乳石は珍しい形で他の鍾乳洞と異なっていた、風邪の洞窟と言われるように地下空間でも風が吹いていた。次の訪問は「Crazy Horse国立記念碑」を見学、70年前から始まった地区を支配していたインデアン種族の酋長の顔を岩に掘った石碑、完成までにはまだ70年を要すると言われる、すでに見事なインデアンの顔がくっきりと現れており下から拝める事が出来インデアン酋長記念碑に乾杯した。その隣には待望の「Mt. Rushmore国立記念碑」がある、此処は観光客で最も賑わっていた、星条旗が並ぶ通路を上がっていくと、突き当たりの山の花崗岩に歴代大統領4人の肖像がくっきりと彫られていた、GeorgeWashington, Thomas Jefferson, Theodore Roosevelt, Abraham Lincoln である、1927年から1941年に掛けて完成。その後「ChuckwagonSuper Show」の夕食と音楽演奏を聴く、聴衆は300人程あり我々は真ん中前方の特別席、今年の2付き予約した時すでに50席が開いており助かった。BBQの食事の後、ショーはやはり西部らしいCountry Western音楽である、客の殆どはシニアーばかりで演奏と劇も交えた楽しい時間であった、ElvisPresleyの偽者が突然我々のテーブルに上がって謳ってくれて大喝采を浴びた。
11日目:Casperの町を出発しRocky山脈の中を走り、6時間かかってPark Cityにある「Tanger Outlet Center」での買い物をした、Outlet はこのアメリカが発祥の地、製造メーカーの直売店であり在庫の整理のために街中のデパートと同一商品を半額以下で販売する店舗集合センターである、Brazilian にとってはブランド品が格安とあり買った買ったの山となり、荷物専用のVanが一杯となってしまった。その後SaltLake Cityに帰ってきてホテルに到着したが、旅の疲れで皆んな早くベッドインのようであった。
第1回:カリフォルニア州San Francisco集合、第2回:西南部 California州とArizona 州でLos Angeles 集合、第3回:Canada国はOntario州とAlberta 州とBritish Colombia州でToronto集合、第4回:東南部Florida州でOrlando集合、第5回:中東部のSouth Carolina州でMyrtleBeach 集合、第6回:Califorunia州とNevada 州でLas Vegas集合、第7回:西北地区でWashington州とOregon州でSeattle集合、第8回:中西部Colorado州とUtah州でDenver集合、第9回:東北部Massachusetts州とRhode Island州でBoston集合、そして今回、第10回はUtah州とIdaho 州Montana州とWyoming州とSouth Dakota州でSalt Lake City集合となった、来年度は中南部Texas州でHouston集合で、NASA宇宙センターやSan Antonio のアラモの砦やRiverWalk等を予定している、今この投稿をしながら既に来年の企画が頭に浮かんでいる。 村松義夫、在California, U.S.A.
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