私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

タグ:神奈川県

「様々な人との出会いがあった」 伊藤修・伯生さん父子が得度 サンパウロ新聞WEB版より

イメージ 1得度式の様子。右から采川師、伊藤修真さん、生真さん

伊豆大島・富士見観音への思い込め

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得度式に協力参加した伯人僧侶(両端)たちと伊藤修真さん、采川師、生真さん(中央3人右から)

【神奈川県横浜市発・松本浩治記者】神奈川県横浜市で路上焼肉店を生業とする伊藤修さん(67、神奈川)と次男の伯生(ひろき)さん(29、2世)が4月18日、同市内の自宅で曹洞宗南アメリカ国際布教総監の采川道昭師の導きにより得度(とくど)した。伊藤さんは、2014年から東京都伊豆大島にある富士見観音堂の堂守として、月に1回の割合で同島に足を運び、観音堂の維持活動を継続。「(得度するにあたって)奇しくも、様々な人たちとの良い出会いがあった」と思いを振り返り、観音堂が今後、日本に住む日系ブラジル人など困窮者の憩いの場となることを目指していく考えだ。
 大学を中退して横浜市役所に勤めた後、鎌倉市で漆(うるし)職人の仕事をしていた伊藤さんは、同市にある禅宗の寺院・建長(けんちょう)寺で座禅などをしたこともあったという。その後、1980年初頭にパラー州ベレン市に住む山本陽三氏の呼び寄せで渡伯。山本氏が経営する土産物店やレストランなどで働き、ATS(アマゾン・トラベル・サービス社)に勤務した経験もある。
 90年前後に、伯国生まれで日本語が分からない子供5人とともに日本に引き揚げた伊藤さんは、横浜市神奈川区のJR大口駅付近でレストランを経営したが、2011年に店を失い、4年前から同市の黄金町(こがねちょう)駅前の路上で焼肉を販売するなどして生計を立てている。
 サンパウロ市在住の記録映像作家・岡村淳さん(59、東京)のドキュメンタリー大作『アマゾンの読経』(316分)を見たことがきっかけで富士見観音堂のことを知り、14年から観音堂の堂守として横浜市から月1回の割合で伊豆大島に通う伊藤さん。訪日して観音堂での供養などを行った采川師と知り合ったことで、今回の得度式を行うことになった。
   ◎   ◎
 この日の得度式には采川師をはじめ、ブラジルから訪日し、横浜市鶴見区にある総持寺(曹洞宗の総本山の一つ)で修行を行っている非日系人のフェルナンデス浄賢(じょうけん)氏(27)らブラジル人僧侶も協力参加した。
 18日午後3時頃から始まった得度式では、「お釈迦さま」や先祖への三拝(さんぱい)を繰り返したり、頭の毛を剃る儀式などが行われ、通常は「20分ほどで終わる」(采川師)儀式が約1時間半にも及んだ。
 この日の得度式により、伊藤さんは「修真(しゅうしん)」、次男の伯生さんは「生真(しょうしん)」という僧名をそれぞれ譲り受けた。
 采川師は法話で「得度、おめでとうございます」と、揃って得度した伊藤父子のことを祝福。さらに、「(伊豆大島の富士見)観音堂を守ってくれる人が出て来ることは優れたご縁で、夢にも思っていませんでした。宇宙全体に感謝するしかありません。すべては宇宙の御因縁(ごいんねん)で生まれさせてもらっている」と述べ、「すべてのものには境目がなく、人様の上に立つのではなく、僕(しもべ)として得度すること。そのことをよく自覚して、すべての人と仲良くしてほしい」と戒(いまし)めた。
 得度した生真(伯生)さんは、「気持ちは皆さんと一緒。世界が一つの気持ちでつながれば」と、思いを込めた。
 伊藤さんは、「嬉しいです。これからも観音堂(での活動)に精進していきます」と今後の意気込みを表した。その上で、「今回、得度した大きな動機は、フェルナンデス(浄賢)さんらがブラジルから来て日本で修行し、一生懸命に異国の地で活動している彼らの姿に触れたこと。(堂守になって)はじめの1年、2年は荷が重かったが、奇しくも様々な人たちが出てきてくれて良い出会いがあった。そのことで保身が無くなり、気が楽になった」と率直な気持ちを語る。
 また、今後の観音堂での活動について伊藤さんは、その維持とともに、「日本での出稼ぎで僕自身と家族も救済された」とし、「日系ブラジル人や出稼ぎ就労者など困窮者たちが集まる憩いの場にもなれば」との思いも持っている。
2018年5月8日付

≪学移連ヒストリア講演会≫ 五味さんの写真と報告が届きました。

和田好司・富田眞三様・50MLの皆様へ
 
学移連ヒストリア講演会での五味の私的報告

218日(日)午後 JICA横浜であり、講演内容は、.  拓大移住研活動とエクアドルでの社会貢献活動の実践:井上順八 .  早稲田移住研活動と一次派遣団・羽嶋団長の思い出:佐藤喬 .  揺籃期の学移連と葛西委員長の思い出:今村 邦夫(日大OB)であった。

 まず井上氏は、今村氏がエクアドルに来た時の裏話をして盛り上げて、
拓大は、学移連創設期から委員長を出し、活発な活動をした。エクアドル
でマンタの子ども達への社会貢献で政府からも感謝された活動が報告された。
次に早大移住研の佐藤氏は、一次派遣団の羽嶋団長の思い出を鹿児島の
西郷隆盛の話しをまじえて面白く語り、多くの学移連委員長を輩出し活躍
した事などを語った。
 私は、前々から今村氏にお会い出きる機会があれば思っていましたので、
「残された宝庫南米ボリビア」(昭和29年発行)の著者の尊父今村忠助代議
士の事などをお聞きしたくて待っていました。講演直後にメキシコでも付
き合いのあった親友富田眞三氏に紹介して頂き、懇親会でゆっくりお話し
が出来ました。尊父は、野田良治著の「新南米」のみでボリビアの知識を
学び、ペルー大使館の高島理事官と日本移民入植適地視察を日系人の方々
とサンタクルスの地に求めた。西川移住から始まったサンファン移住地は、
5年後に立て直しを図るため、農林省出向で外務省派遣の後藤連一書記官が
中心となって全体業務の指導にあたることになり、移住地に「一連山荘」
と名付けた茅葺の小屋に常駐した。その後、1978年に学生移住連盟顧問と
してサンファン移住地を再び訪れたが学移連の移住者は皆無である事など
を話した。また、尊父の曾孫さんが、今村忠助氏の研究を始めたとのこと
で話もはずみました。
2次会は、富田・井上氏と共にホテルの俱楽部で昔話などお聞きすること
ができ愉しいひと時でした。50MLに井上氏が参加したのは、同船でエク
アドルに行った故菅間氏(早大)と一緒にマリコさんの“クラブけい”に
行った時で、写真の最後に添付します。
五味 茂より


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≪新年のご挨拶≫ 西郷さんからも賀状が届いていました。

昨年は、私の娘が嫁ぎ、三人娘全員落ち着くところに行ってくれました。ホットした年でした。

また、ボランティアとしての日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW) の活動では、大学に訪問して、学生との対話会を従来同様に行いました。

 
次葉以降の資料「次世代にとっても原子力は重要なエネルギー源である」は、私の所属しているNPOに投稿したものです。
お暇な時に一読ください。

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次世代にとっても原子力は重要なエネルギー源である


平成291021


西郷 正雄


この度の原発事故で、原子力エネルギーに対する世論は厳しいものになっている。「原発が無くてもエネルギー確保が可能である」との見方が大半を占めているようである。果たしてそうであろうか。原子力・原発の持つ意味を一から考えて見たい。


原子力は、僅かな量で、莫大なエネルギーが取り出せる。これが、資源の乏しい我が国には、エネルギー安定供給やエネルギー安全保障に対して、大きなメリットとなっている。一方、放射線を放出する核分裂生成物を保有することになるために、核爆発や水素爆発などで、原子炉内に保有している核分裂生成物が外部に放出されると、この度の水素爆発事故のように住民を避難させなければならない大事故に繋がることになる。


原発は、炭酸ガスや公害物質(窒素酸化物、硫黄酸化物など)の排出が無いので、環境問題に対してクリーンであり、地球温暖化防止に役立つ。


原発では、高放射性レベルの廃棄物が発生する。これは、量的には極僅かであるが、超長期の間、放射線を出し続けるために、処分場として受け入れる自治体が、決まらない状況になっている。


原子力は、核物理や素粒子解明に需要な役割を持っている。若者がサイエンスの未来に期待を込めて勉学するには、原子力は欠かせないものである。


以上の原子力・原発の持つ特性より、原子力の利用に反対する者は、①における大事故への不安 と③の高レベル廃棄物の処分場の決まらないこと に起因して反対していると考えられる。即ち、安全に対しての不安である。


しかし、原子力のメリットを考え、他のエネルギー源との比較をして、本当に原発を無くす方向にもっていって良いものなのか、慎重に考えなければならない。


既にエネルギー源として世の中に存在する原子力、それを世界から無くすことは不可能であろう。原子力の安全に対しては、わが国だけでなく、世界で受け入れることのできるところまでリスクを低減させることで、むしろ原子力を世の中で受け入れられるようにすべきではないだろうか。


次に、他のエネルギー源の課題と比較して、原子力のあるべき姿を描き、「次世代にとっても原子力は重要なエネルギー源である」ことを提言したい。

(1)   現状の各エネルギー源の課題と比較


エネルギーについては、既にエネルギー基本計画において示されているように3E+Sにより課題が示されている。


即ち、「①エネルギーセキュリティ(安全保障と安定性) ②環境問題 ③経済性 + ④安全性」である。


化石燃料については、


・海外からの輸入に伴う途絶の問題、特に政情不安定な中東からの石油や天然ガスの輸入による問題。


・いずれは枯渇問題に発展して、コスト高騰につながる経済性の問題。


・炭酸ガスによる地球温暖化問題と窒素酸化物、硫黄酸化物などによる公害問題。


再生可能エネルギーについては、


・特に、風力発電や太陽光発電については、天候、気候任せにならざるを得ないために、一日、および季節において、供給電力の変動が激しく極めて不安定である。常にバックアップ電源を備えておかなければならない問題。


・稼働率との関わりもあり、コストがある程度以上には安くならず、コスト高止まりにならざるを得ない問題。


原子力エネルギーについては、


・安全性に関して過酷事故 (重大事故) が発生すると、その地域は避難を強いられ、土地だけでなく在住住民に対して計り知れない影響を与える問題


・核のゴミと言われている放射性廃棄物の処分場、特に高レベル放射性廃棄物の処分場が決まっていない問題。

以上の課題 (問題) を比較すると、ある程度は経済性を犠牲にして解決させることは可能であろうが、エネルギーの安定性、信頼性を考えれば、それぞれのエネルギー源を受け入れたエネルギーミックスを基軸に、うまく運用することであると考えられる。ところが、この度の原発事故の影響で、原発を無くすべき (脱原発) との考えが先行している。


我々が安心してエネルギーを確保するためには、原発の優れた面を引き出し、不安となっている安全性に対して国民が受け入れるべきレベルにリスクを低減させ、原発を受け入れるべきであろう。さも無ければ、将来求められているエネルギービジョンでのエネルギー確保は、実現できないものと考える。

(2) 原子力のあるべき姿


以下に、①原子力を無くすことの難しさ、②原子力をコントロールすることは可能であること、③科学技術・総合システム技術を背負う原発の役割 を説明して原子力のあるべき姿を描き、次世代にも原子力は必須であることを述べたい。

   原子力を無くすことの難しさ


我が国が原発を無くすとすれば、次の問題へと波及するであろう。


化石燃料の増加を防ぐことは現実的に難しく、海外から、特に政情不安定な中東からの天然ガスや石油に頼らざるを得なくなり、エネルギーセキュリィティ上、厳しいものになる。


再生可能エネルギーを増やしても、その利用出来る割合には限度がある。さらにバックアップ電源が必須となるために、高コストが免れず電気料金の高騰が、企業、国民を襲うことになる。


原発で培われた幅広い分野からなる総合システム技術は失われることになり、立ち直るまでには十数年の期間を要することになるであろう。


世界では、特に中国、インドなどの途上国では、エネルギー源に原発の導入を考えている。我が国の知見をそれらの国々に活用させるためには、我が国内で原発を継続的に動かして、知見、知識を蓄え維持することが必須である。


原子力の高等技術は大学から失われることになり、我が国の核物理学の存亡にもなりかねない。


   原子力をコントロールすることは可能であること


原子力をコントロールするとは、「リスクをできる限り低減して国民が受け入れて良いであろうと判断でき、不安が払しょくされた状態になっていること」と考える。


今、国民が不安と考えていることの一つは、原子炉が無事に止まったとしても「崩壊熱により原子炉内に熱が溜まり、水素爆発に発展しないか」との不安である。


現在、利用している原発は、大型化したことにより保有する放射性物質の量も多くなり、仮に重大事故が発生して、保有している放射性物質が放出されれば、住民に対して計り知れない被害を与える可能性を秘めている。


しかし、この度の事故を教訓に新規制基準を設け、それに適合させる対策を講じることにした。従い、まず起これ得ないであろう巨大天災 (巨大地震、巨大津波、竜巻など) に対応できるハード、ソフトの両面での対策を講じている。リスクを大幅に低減したために、同様の重大事故は、まず起これ得ないであろう。


今後取り入れる新型の軽水炉では、上記の対策に加え、仮に重大事故が発生した時にも、原子炉を冠水状態にすることで低温を保持して水素発生が防止でき、外部に放射性物質が放出されないよう設計がなされている。


それでも原発は不安であるとのことならば、崩壊熱に相当する熱を放熱や自然循環の自然の原理を利用して除去できる仕組みの小型原発がある。重大事故に発展するのを抑えることが出来るために、大幅にリスクを低減できる。


このような小型原発として、我が国では、熱の取り出しに水を使わなくてヘリウムガスを用いた高温ガス炉が既に開発されている。現在実証炉に向けた開発を進めようとしている。将来の原発や水素製造などの化学工業への熱利用として有望な原子炉である。


   科学技術・総合システム技術を背負う原発の役割


原子力技術とは、科学の神髄ともいえる核物理や素粒子の振る舞いを解き明かす技術である。原子力は、大学や研究機関での研究を通じて科学の発展のためにますます期待される。その土台である原子力の応用編として、原発が存在する。また、原発には、原子核物理、放射線化学、機械工学、電気工学、土木工学等の幅広い分野の知識を総合的に駆使した総合システム技術のノウハウが埋まっている。原発を運転し続け、維持することで、我が国の科学技術・総合システム技術を背負うことができる。

以上の原子力の良い面と悪い面を理解し、皆さんが最も不安に持っている安全性を原発により得られた科学技術と総合システム技術を駆使して、「原発の爆発事故を無くし、高レベル放射性廃棄物の安全な処分場を造り込むこと」、即ち原子力のあるべき姿に向けて原子力技術者は切磋琢磨している。技術面では実現できた段階にあると考えて差し支え無い。後は、国民がそれを受け入れるかどうかである。


従って、国民にそのことを理解してもらうためにも、「次世代にとっても原子力は重要なエネルギー源であること」を提言したい。




≪移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編上映会≫ 岡村さんからのお便りです。

和田さん
名古屋の上映のあと、京都での上映が二日間続き、夜行バスで先ほど東京の実家にいったん戻りました。
おかげさまで11日の名古屋での『40年目のビデオレター
アマゾン編』の上映は主催の久保原さんや瀧藤さんらの尽力により、一般の方々、在日ブラジル人らにもお集まりいただき、盛況でした。
和田さんとボリビアでお会いしたという榊原さんも参加されました。
在日ブラジル人たちからは、自分たちのブラジルのルーツの世代の思いを知り、またかつて南米に渡った世代の挑戦が日本を選んだ自分たちの挑戦とオーバーラップしたとの感想をいただきました。

17日は横浜でアマゾンからUターンした伊藤修さんの料理と岡村作品上映の夕べの会で『移住四十一年目のビデオレターグアタパラ編』を上映する予定です。

まずはご報告まで。 
岡村淳

移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編
移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編 (2004/10/13) 2003年制作/73分
制作・構成・撮影・編集・報告:岡村 淳

1962年に南米に向かった移民船あるぜんちな丸第12次航の乗船者のその後を訪ねるシリーズ第二弾。
ブラジル・サンパウロ州の内陸にあるグアタパラ移住地に暮らす小島忠雄さん一家の歩みと今を紹介する。小島さんは日本で健康食品としてブームを呼んでいる姫マツタケ(アガリクス)を栽培している。小島さんは日本への出稼ぎブームが始まった時、パイオニアとして祖国にUターンした経験を持っている。同じ移民船で移住した夫人の智子さんと両親、そして日本で暮らす小島さんの子供と孫を訪ね、国境を超えてしまった家族の絆を見つめていく。
「普通の移民」の持つ歴史の奥深さ、ドラマと日常を長期取材による長編ドキュメンタリーに仕立てた。 

【要予約】アマゾン料理の岡村作品の夕べ@横浜パラダイス会館(2月17日)
【要予約】アマゾン料理の岡村作品の夕べ@横浜パラダイス会館(2月17日) (2017/02/10) おなじみガウショこと横浜の大道焼肉師・伊藤修翁が腕を振るうブラジル料理をいただきながら岡村ドキュメンタリー作品をライブで鑑賞する好評のイベントです。
今回は伊藤さんが、どこからかアマゾン水系のグルメ魚タンバキ―をゲットして炭火焼にしてくれるそうです!

岡村作品の方は蔭山ヅルキュレーターこだわりのチョイス『移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編』。
以下は主催者からの詳細の告知です。
要予約です!

ブラジル★ナイト
~岡村淳監督上映会とブラジル料理の夕べ
<なぜ富士見観音なのか?「移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編」を観て考えるの巻>


*定員10名ほどの小さなスペースです。
必ずメールでご予約お願いします。
artlabova@gmail.com (件名:ブラジル予約)

ブラジル炭火焼肉ガウシャのブラジル料理をつまみながらブラジルの映像を観る夕べです。
サンパウロから岡村淳監督が駆けつけ、貴重なドキュメンタリーを上映します。

昨年ブラジル炭火焼肉ガウシャのガウジイのドキュメンタリー「焼肉と観音」と、5時間の大作「アマゾンの読経」を鑑賞して、ガウジイが伊豆大島の富士見観音の守になった、その経緯を学びました。そして、今回は、そもそもなぜ「アマゾンの読経」の藤川さんは私財をなげうって観音堂を作るにいたったのか?日本から南米に渡った人々のその後の過酷な人生を追った「40年目のビデオレター グアタパラ編」を上映します。

今回のお料理は、タンバキというアマゾン川の魚の炭火焼です。
http://zukan.com/fish/internal975
そのほかポンデケージョやサラダ、もちろんリングイッサなど炭火焼肉も注文できます。
お腹をすかせて来てください。

・日時 2017年2月17日(金)18:45開場 19:00開始
・料金 1500円(フード&1ドリンク)+上映カンパ
・予約 artlabova★gmail.com(★→@)
    件名「ブラジル予約」
・会場 ART LAB OVA横浜パラダイス会館
    (〒231-0056横浜市中区若葉町3-51-3‐101)
    シネマ・ジャック&ベティ1Fです。


二宮尊徳翁とアマゾン開拓=報徳の森に生かされる=神奈川県在住 松田 パウロ=(下) ニッケイ新聞WEB版より

http://www.nikkeyshimbun.jp/wp-content/uploads/2017/02/091017-amazon37-SAF-fuka-225x300.jpg
パラー州のトメアスー移住地で、試行錯誤の結果に始められたアグロフォレストリー(森林農法)の畑

森林農法
 黎明期のアカラ移住地は、野菜の生産で命脈をつないでいた。
 期待のカカオ樹は、病害で全滅し、全力投入の米の市場も無い。
 大河流域の乾季には、無尽蔵と想われる魚類が市場に溢れ、人間の経済活動を嘲笑う原始河川の躍動は、日本神話の「海幸山幸」の豊穣の世界そのままなのだ。
 河を下ってベレンの街で野菜を売り歩く日本人移民の集団は異様であった。
 ブラジル人に野菜を食べる習慣もないために、料理教習会から始まるのだ。
 日本人移民の神通力とも言われる三白農業(米、卵、蚕)の技は、全く無力のアマゾニアの都である。乾季に市場無尽蔵に市場に氾濫する魚類タンパクは、新興勢力のニワトリ卵など見向きもされない。
 一般の家庭では主食に米を食べる習慣も野菜を食べる習慣もなく、高品位の米を買う人もいない。
 しかし、草分移民の主力は、浄土真宗の安芸門徒 (あき・もんと)であったのは、幸運であった。
 「共生 共育」(ともいき ともそだち)の思想は、東洋的価値観の調和の森の文明を模索するに最善の生活態度を涵養し、適地技術を発達させていった。
 森羅万象に感謝を捧げる親鸞上人の教えは、アマゾニアに発芽を果たすのだ。
 過酷な開拓生活の中でも、俳句をたしなむ農民の姿は、ブラジル貴族社会には驚愕すべき一大事件であった。ボロをまとい経済的苦境に喘ぎながらながら、洗練された詩(俳句)を創作することなどラテン諸国には絶対に有り得無い。
 サトウキビ、コーヒーの大農園経営が基準となり、農地と農奴は使い捨てが、当たり前の風土では、農地を労わり慈しむ発想も存在していなかった。
 アカラ移住地は、胡椒の生産により一大発展を遂げることになるが、古老たちは胡椒増産に浮かれず、永年作物の導入に余念は無かった。
 開拓当初、原始林を伐採すると裸土の消耗が凄まじいこと、それは「草」が存在しないためである。
 南拓試験場も、後続移民も、祖国の草の種子まで持ち込み、豆科植物、緑肥植物の楽園へと生長してゆく。それは生存競争とは異質な調和の杜づくりの基盤整備を、いつの間に完成させてしまうのである。
 日本人移民集団が「化外の土地」に産業を起こし、地域有数の高額納税者となると、地域に舗装道路の開通と農村電化は実現するのだ。
 伐り拓くべき原始林に囲まれている開拓初期から、森のある未来景観を描ける才能は日本農民の特質かも知れない。
 厳しい日射を和らげ、木陰での集約作業を尊しとする気質は、水源林に対する畏れとともに、永続性のある街づくりにつながっている。
 移住当初は大陸の大規模農場経営に憧れていても、いざ作物が生長し収穫期を迎える頃、日本人ははじめて自分の畑が国際相場に翻弄される恐怖に晒され、追い討ちをかけるが如く凄まじい病害に遭遇し破産する者も続出する。
 ようやく安定した農場経営が家族の怪我、病気により一瞬にして消滅する事例にも事欠かない。
真の適地技術を、草分移民や先住民の智慧から求め、森を創る農法が完成し、多種多様な作物の流通と現地加工は、道路と電気の力で達成する。
 初期開拓移民の台所も食堂も土間であり、味噌、納豆、、アンパン、タクワンなどが農協婦人部の結束で、今なお伝承されている。
 アマゾニア初期日本移民の呼称(愛称)は、ナーボ(nabo はポルトガル語の大根の意味)と言う。異郷の街で挫けず野菜を売り歩く日焼した日本人の勇気と笑顔が彷彿とさせられる。
 売れ筋の、その大根の品種は、時なし大根であった。

生態系産業
 1908年6月18日にはじまるブラジル移民は、地力の高いサンパウロ州を中心に発展し、後の日本企業進出の信頼の礎の役割を果たした。
 企業再建の神様・土光敏夫社長(どこう・どしお)率いる石川島播磨重工業(株)のリオ・デ・ジャネイロへの造船所建設も、トヨタ自動車のサンパウロへの工場進出も、報徳の教えの実践を色濃くし、単なる企業利益追求の次元を超えている。
 最新の生産技術も現地に惜しみなく推譲し、経営財務の現地化を推進させ、優れた適地技術者を輩出させることにより、温もりある企業風土の醸成を成功させた。石川島播磨重工の進出からブラジルの海洋産業は目覚ましく発展し、誇り溢れる技術者の系譜は富士の裾野のような拡がりを有する。
 トヨタのカイゼン運動の発展も、人づくりから環境創造の域に入りつつある。
 掛川出身の橋本梧郎 (はしもと・ごろう)の、博物研究の完成もトヨタ財団の支援に負うところ大であった。1934年、掛川中学校卒業の橋本梧郎は、報徳思想の継承者として、実学としての植物分類学を牧野富太郎博士 (まきの・とみたろう)から伝授されていた。
 欧米列強が植民地経営のために博物学に国運を賭ける時代に、橋本梧郎青年は志高く移民船に乗り込んでしまう。大学に入る暇は無いと、蛮勇ではあるが、未開の地の植物探査は、若い力の為せる技である事は世界共通認識であった。
 日系開拓移民の農作物の調査と健康に資する薬用植物研究に生涯を捧げる。
 1950年に創建されたサンパウロ博物研究会は、牧野富太郎直伝のユーモアにあふれる講演会が好評となり、多くの弟子を育てている。
 1996年に丸善から「ブラジル産薬用植物辞典」を世に出した。
 日系人の組織を離れ、ブラジル社会に広まる俳句の季語の確定にも大貢献し、今日の隆盛を呼ぶ。
 2008年8月26日に95歳の天寿を迎える寸前まで執筆活動に勤しまれた。
 辞世の句は、「終点は大学の門 鳳凰樹 垂南」。

展望
 行政の言葉には、中山間地とか限界集落とかが、冷たく存在する。
 しかし、南米の日本人農業移民は人の住め無いとされる奥地に、新しい産業を興し、地域有数の納税者となり道路網と農村電化という文明開花を実現した。
 始まりは農業奴隷の代替え労働者という最底辺階級から身を起こし、適地技術を磨き上げ、農民という教養ある人種の存在を上流社会に認知させている。
 移り住んで技術移転は、世界の貧困を一掃するに最も優れた手法であり、その内に秘められた報徳精神こそ、日本国の海外技術協力の源流を成すのである。
 世界的な気象変動と飢餓の恐怖に対処できるのは、きめ細かな農場の管理と内陸養殖そして森林農法の進化と拡散にあろう。
 大規模開発から取り残された里山里海こそは希望の新天地として、都市緑化の進展とともに、明るい希望を与えてくれる。人口減少著しい地域こそ、生命力は眠り続け、若者を待ち焦がれている。
 植物や魚族の生命力を如何に引き出すか土着微生物と語り合い、時に経済効率から解放され、往時の博物学者の足跡を訪ねるのも決して遠回りでは無い。
 化学分析機器の進化の恩恵は、若い世代に委ねられ、より緻密な観察と実行を誘うのは、政府助成金を超越した、新たなる学問のすゝめである。
 そして身近な「森」の探究は、生命の源流をも蘇らせることであろう。(終わり)

【参考文献】
◎『二宮尊徳の遺言』長澤源夫、新人物往来社
『現代に生きる二宮翁夜話』中桐麻里子、致知出版
『江戸の家計簿』新井恵美子、神奈川新聞社
『実業家とブラジル移住』公益法人・渋沢栄一財団研究部編、不二出版
『自然のしくみ』西沢利栄、古今書院
『アマゾン河・ネグロ河紀行』田尻鉄也、御茶ノ水書房
『持続する情熱』青年海外協力隊50年の軌跡、国際協力機構、万葉舎

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